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3月, 2024の投稿を表示しています

清川漠個展、浅岡慶子展、などを観る

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( 某日。 いくつかギャラリーを見てまわろうと午後2時過ぎに外出する。 Radiohead, Com Lag: 2+2=5 を聴きながら。 銀座線の三越前駅で下車する。地下1階の高級食品街はいつも混雑している。食品街を見るのも好きなので上階のギャラリーに向かう前に食品街を歩き回る。 食材のさまざまな匂い・香り、色彩を楽しむ。買うものはないのだけれども。 本館6階のコンテンポラリーギャラリーに入り、開催中の 清川漠 個展「 境界線上に在る 」を観る。 作家の言葉 「基準を決めて区別して当たり前に切り分けてきた世界に対して、境界線を取っ払うと簡単に言うけれど   許すと許せないの間は、反復横跳びのように自分の真横にひょいと跨げるような短い横線がある訳ではなく、ただひたすら走って走っても許すには到底辿りつけない長い道のようなものなんだと知った。   そのような境界線は日常にもたくさんある。 ただそれが在ると認識するだけで良い。」 三越前駅から再び銀座線に乗り京橋駅で下車する。 ギャルリー東京ユマニテ で開催中の浅岡慶子 展「『珠』を視採みとらば、」を観る。 鉛筆、ガッシュ、紙、アクリルケース。画像では繊細さを捉えることが全くできないけれども。 作家の言葉 「「珠」を視つめ採ったつもりが 「珠」に視捕られたような気がしないでもない 何が何故だ?と思いつつ 時には「珠」から遠く離れて暮らすのに 気がつけば「珠」はわたしの中で息づいている それって「珠」の意志なのか? それとも? そのような不思議がおもしろく 果てない「珠」を探してしまう」 会場には、作家が1974年のヨーゼフ・ボイスのNYでのパフォーマンス「 コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き 」にたまたま立ち寄った時に、ボイスのピンと張った視線が作家に注がれ、作家がその視線を見返して見つめ合った10秒程度の経験・その記憶・その含意について、作家が記した文章が置いてあった。「正直言って、私は評論家の大方の文章は、芸術家の芸術の実際とは大きく乖離しているなあ、と失望することが多いので、ほとんど読みません」で始まる文章。 すぐ隣のアートスペース羅針盤では「 羅針盤コレクション展 」をやっていた。 作家名省略。 6:00 起床。 N Y 市場終値をチェック。   グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーを

弟の音楽を聴き読書をしてジャケットを発見し料理を作る

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( 某日。 終日在宅で気分が休まる。 読書が捗る。Gabor Maté,  The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture  (Avery, 2022) の第13章から第22章まで読む。他の書籍も同時進行で読んでいる。 弟のソロプロジェクトである plot. の ondo などを聴く。 合間に自宅に設置してある絵画、織物、器、織物、立体作品、をゆっくりじっくり見て諸感覚に刺激を与える。設置風景の一端はエントリー「 ミャオ族 (苗族) の刺繍上衣を設置して、読書をし、料理を作る 」で記した。 合間にyoutube も見る。もっぱら投資関連動画。見ている動画にはエントリー「 テレビはほとんど見ないけれどもyoutubeは見る 」で言及している。 合間に押し入れの片付けをする。開封していない書類や封筒類がたくさん出てくる。何年も開封していないけれども問題が起きたわけではないので今更開封の必要はないだろうと思い、破りながら捨てる。 片付けをしていると押し入れの奥にマウンテンパーカーがあるのを発見する。取り出してみると Burton の ak457 Guide Jacket だった。 リンク先のものは最新作。出てきたものは製品を見ると2014年製造、10年前のものということになる。素材はGore-Tex Pro. 過酷な天候下での使用が想定されているのでそうなるのだろう。街着としてはオーバースペックなのだけれども、身体を動かす際にかかる負荷が最小限になるような設計、風を完全にシャットアウトする生地、2014年モデルは丈が短く身幅もタイトだったこと、で購入したのだと思う。それ以降、現行のモデルまで丈が長く身幅も広い。毎年デザインが変わっているから2014年に購入したのだろう。 10年前のものだけれども生地に傷みはなくシープテープの剥がれも全くない。1年間着用しなかった衣類は捨てることにしている。見つかったジャケットは何年も着ておらず、押し入れにあることも忘れていた。即捨てるはずのものなのだが、部屋で羽織ってみると今でも好みの感じなのと、これから先もずっと着ることのできる状態なので、捨てずに早速明日着用して外出することにする。 押し入れの奥にあり何年も着なかったことには何か理由があったの

高島進展を銀座で観て矢野静明作品との並置を考える

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( 某日。 エントリー「 平松麻個展を代官山で観る 」の続き。 ギャラリーを出て代官山駅に戻り東横線で渋谷駅に出る。銀座線に乗り換えて京橋駅で下車する。 奥野ビルに入る。画廊の集まるこのビルがどういうわけかひどく混んでいる。階段で 6Fまで上がる。ビルに設置されているエレベーターは手動開閉式のもの。初めて乗る人もいるのだろう、開閉式のドアを完全に閉めずにエレベーターを後にしてしまい、エレベーターからそのことの通報音が鳴っている。 画廊香月 で開催中の 高島進 個展「 建築する傷口 」を観る。 エントリー「 購入した高島進さんの作品が届き、ジョニ・ミッチェルの復活を知る 」で画像とともに言及したように、自分は高島進作品を4つ所有している。白銅鞮画廊でお会いしたときには、倉庫にある展示していない大作を見せて頂いたこともある。 そうした縁で、個展やグループ展があるたびに、高島さんからDMを頂戴している。今回も頂戴して観に来たのだった。 今回の展示では新しい試みあるいはシリーズが展示されている。ファブリアーノ紙にメタルポイントで紙に陰影や凹凸が生じて表面が毳立つような強さあるいは鋭さで線を引いたもの。 どれも額装されており画像では良さが伝わらないのだが、とりわけ1番惹かれた思った作品はその質が全く伝わらないのだった。 自分が今回1番惹かれた作品の、額装前メイン部分画像を作家のインスタグラムから転載する。 ギャラリストさんに作家の知り合いかどうかを聞かれ、自分が高島さんとお会いしたことがあること、4点作品を所蔵していること、をお伝えすると、いろいろお話しして下さる。素晴らしい作品群の中でとりわけ上のファブリアーノ紙にメタルポイントの作品に1番惹かれることをお伝えすると、作品が際立って美しく見える見方を教えて下さり実際に示して下さる。画廊内の照明を消して、小さく光量の強い光を当てる。すると陰影・凹凸・毳立ちの質感が美しく際立つ。この作品は今回の展示の中でギャラリストさんの一推し作品でもあったようだ。 作家による画像からもよく見えないかもしれないが、作品最下部から遠近法的に奥に向かうように道のようなものが描かれている。周りがアーチで道の先が教会の建物の内部、のような感じだ。 購入しようか迷ったのだが購入しなかった。 購入を考えた理由は、上の作品単品でも素晴らしいのだけれども自分

平松麻個展を代官山で観る

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( 某日。 エントリー「 青木陵子・qp・工藤麻紀子3人展を観てqp作品を購入する 」の続き。 Talion Gallery を出て雑司ヶ谷駅に向かう。 副都心線から東横線直通の電車で代官山駅まで行く。 代官山駅から歩いて Loko Gallery に向かう。 開催中の 平松麻 個展「 脈脈 」を観る。 版画も展示されている。 平松麻作品はこのLoko Gallery での過去の展示も含めて数回観ている。またエントリー「 函館旅行に行く: 2日目その1 」で記したように、旅行先で偶然平松作品に出会ったり、「平松麻作品集が届き、頂戴した柿を食べ、料理を作る」で言及した、マッチ箱作品集zineを所有している。 2019年にLoko Gallery で開催された展示「 種まきの地図 」で展示されていた次の作品 が観た時から気になっていた。その時は購入しなかった。何となく、この作品が自分の時空間に来るのはまだ早い、となぜか感じたからだった。数年経って、何となく、お迎えするのに相応しい時期が来たと、なぜか感じたので、作家に直接購入可能かどうか問い合わせたのだった。 結論から言うと非売で購入不可能だった。自分が展示に行った時には作品は購入可能で売れていなかったと記憶している。 展示の終わる頃に、あるきっかけがあって自分の手元にしばらく置いておきたいと思う作品になったので、購入頂けないのです、ピンポイントでこの作品を問い合わせてくださってとても嬉しいです、との返信だった。 自分が今は時期ではないと感じて購入しなかったこと、作家が自分の手元に置いておきたいと思うようになったこと、から、これが現時点でこの作品の然るべき在り方なのだろう。作家が手放しても良いと思った時には購入したいという気持ちが残ってはいるものの。 今回、会場では、ジョナサン・スウィフトの長編『ガリバー旅行記』の物語を彩った挿画に描き下ろしと加筆作品を加えた、画家・平松麻さんのアートブック「 Travelogue G 」も販売していた。試し読み用の1冊を観る。購入するか迷うも今日は購入せず。 Maurizio Pollini, Schoenberg/Webern を聴いていた。 ギャラリーを出る。 )

青木陵子・qp・工藤麻紀子3人展を観てqp作品を購入する

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( 某日。 ギャラリーをいくつか観ようとお昼過ぎに外出する。 Robert Glasper, Covered を聴きながら。 山手線の目白駅で降りて Talion Gallery タリオンギャラリー まで歩く。 ギャラリーと画家qpさんの共同企画による展覧会「 精霊に捕まって倒れる 」を観る。 エントリー「 花を巡る1日: 高田馬場でqp個展を観て作品を購入する 」「 qp個展で購入した作品が届く 」で言及したように、自分はqp作品を2点購入・所蔵している。qpさんから今回の展示のDMを頂戴していたのだった。 ギャラリーの説明によると「本展覧会名は、装丁に qp の絵が用いられた同タイトルのノンフィクション(アン・ファディ マン著、忠平美幸ほか訳『 精霊に捕まって倒れる 』)に由来します。」とのこと。 原著は Anne Fadiman,  The Spirit Catches You and You Fall Down: A Hmong Child, Her American Doctors, and the Collision of Two Cultures   (Farrar Straus & Giroux, 1998).  敬称略 qp作品 そして次の作品を購入した。 所蔵作品とほぼ同じサイズ。ちなみに所蔵2作品の画像。 今回購入した作品は所蔵済み2作品といくつかの点で異なっている。丸い図形が目立つこと。図形の大きさのばらつきが大きいこと。他の2枚は奥行きを感じない構成になっているのに対して色彩の明度と彩度によってある種の奥行きがあること。関連して、視線が中心を持たず拡散するというよりは、一度中央に向けて集中させるような構図になっていること。など。 色彩の良さは共通している。3枚で良い組み合わせになったと思う。 上記エントリーでも記したように、優しい色彩・図形の配置・小さなサイズということで、観ると一瞬心が和む気がする作品群ではある。観ているとしかし、各水滴のサイズ・紙の傾きによるその形態の変形可能性・湿度による乾き具合の違いで生じるであろう制御の難しい微妙な色彩のむら、が画面にもたらす持続する緊張感が漲っているように感じられてくる。和んでいる場合ではなくなるのだった。 工藤麻紀子 青木陵子 6:00 起床。 N Y 市場終値をチェック。   グラス