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1月, 2023の投稿を表示しています

たまプラーザのギャラリーでプレゼントを買う

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( 某日。 中学1年生の姪へのプレゼントを購入する。鉱石とガラスのネックレス (あるいはチョーカー)。 用事があり何度かあざみ野を訪れている。今日もあざみ野に行き40分ほどで用事を終える。 帰路、普段乗車しない田園都市線沿いでアートギャラリー検索をすると、隣のたまプラーザ駅近にある  Gallery きのわ  が表示された。近いこともあり行ってみることにする。 硅砂組〔田上惠美子+田上拓〕 個展「ガラスと石と」~アクセサリーを中心に~ という展示だった。初めて目にするギャラリー名と作家名。 姪へのプレゼントに良さそうだと思いながら作品群を拝見する。 田上惠美子さんが在廊され素材や制作について説明して下さる。 作品に使用する鉱石片は、ご自身で鉱山などに出向き気に入って拾ったものだけであること。鉱石とガラスと接着させるために、経年変化で黄ばむことがない特別な接着剤を使用していること。光と質感のためレジンを使わずにガラスを使うこと。接着させたものを切り出してレースを通すための穴を開けること。息子でレンズの改造などを手掛ける田上拓さんが、鉱石とガラスが滑らかに繋がるように徹底して研磨すること。 など。 数あるネックレスからこれだと思ったものを選ぶ。 この作品に使用されている石についての作家からの情報:  種類: おそらくミグマタイト (混成岩) 採集地: 神武鉱山(広島県三原市宗郷) 採集日: 2022年11月4日 田上拓さんも採集に同行された由。 レース部分は細い手作りのワイヤーが複数束ねられたもの。オプションで異なる長さ、またワイヤーの数を減らした細いもの、に変更あるいは追加注文することが可能なのでいつでも仰ってください、とのこと。ありがたい。姪に、レース部分の長さと太さを変えることで違った印象をもたらす身に付け方ができるようですよ、と伝えよう。 (追記。後日、姪に渡す。喜んでくれたようで良かった。) Gallery きのわは長年奈良で活動されたのち、昨年よりたまプラーザに移転した由。ひと月のうち数日だけ展示で開けているとのこと。田上惠美子+田上拓のユニットとは奈良時代から展示し長いお付き合いということで、昨年に引き続き展示が行われていた。展示日程といい展示作家といい、プレゼント購入にとって幸運な巡り合わせだった。 なお、調べてみると、田上惠美子+田上拓のユニットは、

横浜に連泊する

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( 某日。 パートナー (she/her)、自分、共に横浜に数日間連日で用事があったので横浜に連泊する。  宿泊部屋からの眺め。夜10時過ぎと朝7時。 好天に恵まれて良かった。A room with a view. 朝はいつも通り6時前には起床。珈琲を飲みに2階にあるスターバックスに朝7時過ぎに降りて行く。7時開店だがすでに何人か先客がおり、全員仕事関連らしきものをしている。こちらも1時間ほどスターバックスで仕事らしきことをする。 ランチは横浜NEWoManの8Fにある Crisp Salad Works にて。 最初に Earthy Nutty Crunchy をカスタマイズしたものを食べる。メインのロメインレタスとほうれん草を、ロメインレタスとケールに変更、ボイルドエッグとアボカドを追加、味付けはオリーブオイルと塩胡椒を追加。 次の日は Chicken Taco Bowl をカスタマイズしたものを食す。メインのロメインレタスとワイルドライスを、ケールとワイルドライスに変更、ボイルドエッグとウォルナッツを追加、味付けはオリーブオイルと塩胡椒を追加。 どちらもお腹がいっぱいになる。 日中は用事を片付ける。 部屋に調理設備が設置されていること、1階にgrocery storeがあり便利なこと、景色が良いこと、から夜ご飯は外食せずに、そのgrocery storeで食材を買い部屋で食す。 野菜を買い、生や茹でたりしてサラダに。エキストラバージン・オーガニック・チアシードオイルというものが売っていた。試したことがなかったので購入し塩胡椒と和えてサラダのドレッシングにする。 バターで卵を焼く。チーズ、サバの缶詰。マカダミアナッツ。家から持ってきた低糖質おからパウダーパン。出来合いのもの少し。 タリスカー10年の200mlを買い2杯だけストレートで飲む。パートナーはソーダ割りを。 ドラム式洗濯機が部屋に設置されており、洗濯をする。持っていく荷物が少なくなるのでありがたい。 マグネシウム  ( にがり顆粒  3g) 、ビタミン B (Dear-Natura Mix) 、ビタミン C (L- アスコルビン酸  3 g) 、ビタミン D3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu) 、亜鉛 (Nature Made 10mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリン

アヴィシャイ・コーエン、旧約聖書、矢野静明作品、従兄弟

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( 某日。 エントリー「 矢野静明氏のアトリエに伺う 」「 矢野静明作品をお迎えする (1) 」「 矢野静明作品をお迎えする (2) 」の続き。 2作品の画像だけを従兄弟 (twitterは こちら ) に送信する。すぐさま返信がくる。 返信内容にハッとする。「このアルバムが合うんじゃない?」とAvishai Cohen の Sensitive Hours への言及があったからだ。 すぐさまの返信なので直感的にそう判断したということだろう。 ここでの Avishai Cohen はイスラエルのジャズダブルベーシスト (同名の別人トランペッターがいる) を指す。そのAvishai Cohenによる、2008年にイスラエル国内限定で発売された、伝統的なイスラエル音楽に深く根ざしたヘブライ語で歌われる歌ものアルバムで、ヘブライ語の原題は「Sha’ot Regishot」となっている。 画家に知らせると画家も驚いていた。 ユダヤ教ともユダヤ人とも全く縁がないけれどもユダヤ的なものに惹きつけられる。ユダヤの人による絵画を観るよりは、ユダヤの旋律を聴いたりイスラエルの荒涼とした風景を見ていると自分の感覚が揺さぶられる。上記 Avishai Cohenの歌には確かにユダヤ的な旋律を感じる。矢野さんはそのように言う。 「従兄弟の方、独特の感受性をお持ちですね」と矢野さんは続ける。 上記エントリーで述べたように、絵画作品のタイトルは旧約聖書にちなんだものである。 矢野作品データの管理 を行い、 これら2作品以外にも矢野作品を所蔵 し、矢野さんとお付き合いのある自分が従兄弟のような連想をするのはあり得ることだろう。 ところが従兄弟は、作品タイトルを知らず、作品現物に触れる機会もなく、それらの画像を観ただけで、すぐさま上述のように返信してきたのだった。 確かに、従兄弟も自分もAvishai Cohenが好きでアルバムをいくつも持っている。従兄弟は歌ものメインのアルバムも聞くけれども自分は聴かない。自分は上記アルバムのことを知らなかった。 また、従兄弟は他にも多数の矢野作品画像を観ている。何らかの印象は持っているだろう。 こうしたことが無意識の枠組みとなって、自分が聴かないAvishai Cohenの歌ものを「合うんじゃない?」と直感的に判断したという側面はあるかもしれない。 あるいは

矢野静明作品をお迎えする (2)

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( 某日。 「 矢野静明氏のアトリエに伺う 」「 矢野静明作品をお迎えする (1) 」 の続き。 2点お迎えした作品中2点目の画像。自宅の壁に設置した状態を撮影したもの。 タイトル:  Ekron/エクロン (2018) サイズ: 160x235(mm) 油彩・インク・杉の木の板 これも以前から惹かれていた小作品で作品画像をiPhoneに保存して見ていたのだった。 この作品についても、今回のアトリエ訪問に際して、拝見したいということも、お迎え検討の意志があるということも、お伝えしていなかった。 ところがアトリエを訪問すると、壁になぜかこの作品がかけてあったのだった。「矢野静明氏のアトリエに伺う」最初の画像中央辺りにある横長の小品。 木の板に描かれた矢野作品は極めて珍しい。初めて購入する木の板に描かれた作品。市販されているウッドパネルではなく杉の木の板を上掲のサイズに作家自身で切っている。そのためか特に上部が不定形になっている。これも味があって非常に良いと思う。 使用する絵の具材が同じでも、キャンバスに描かれる場合とは質感が異なっている。 上掲画像中、作品内の右最上部近くの縁にある小さく細い黒い部分は、もともと周囲と繋がった部分で、周囲部と同様の地塗り・線描・点描で覆われていた。iPhoneに保存してあった画像もそういうものだった。 アトリエで拝見した作品ではその部分が剥離していた。 最初に剥離しているのを見つけた時には正直「この作品はお迎えできなくなってしまったな」と思った。作家と話しているうちに「黒で補修してみましょう、どうせ何らかの形で補修しないといけませんから」ということになった。画面中に他にも最初から画面構成の部分として何箇所か黒く塗られている部分があり不自然にはならないだろうという予想と、以前と同じような地塗り・線描・点描を新たに施して繋げようとするとむしろ不自然になるだろう、という判断から。 作家がそのようにその場で補修する。乾くのを待って再度作品を拝見する。全く違和感のない、むしろより引き締まったように感じる、高密度の素晴らしい画面になった。これもまた、こういうタイミングでのこういう巡り合わせだと思いお迎えすることにした。 「矢野静明作品をお迎えする (1)」で掲載した作品同様、自分にとってこの作品もその小さいサイズ (通常のキャンバスであれば日本でい

矢野静明作品をお迎えする (1)

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( 某日。 前回エントリー「 矢野静明氏のアトリエに伺う 」の続き。 アトリエに伺った際、絵画作品を2点お迎えした。 1点目の画像 タイトル: the Valley of Megiddo/ メギドンの谷 (2018) サイズ: 140x180(mm) 油彩・インク・キャンバス 小品 (サイズ0号) とは思えない密度のある作品。以前からなぜかひどく気になっていた作品で、ここ2年ほど作品画像をiPhoneに保存して時折見ていたのだった。 今回のアトリエ訪問に際して、この作品を拝見したいということも、お迎え検討の意志があるということも、お伝えしていなかった。 ところがアトリエ内の作品をいろいろと見ると、なぜかこの作品がなぜか置いてあった。 「矢野静明氏のアトリエに伺う」最初の画像、右下に黄色い小品が1番上に置かれてその下にいくつか作品が平積みになっている。その黄色い小品の2つ下にあるのが上掲画像作品。 作家本人が2階にあるリビングの壁に長い間かけていた作品で、たまたまアトリエに持ってきており近いうちに2階の壁に戻すつもりだったとのこと。自分も平積みの作品を抜かりなくチェックしてこの作品を見つけたのだった。拝見してやはり大変良い作品だと思う。 他にも自分側の条件が重なり、これはそういうタイミングだと思い、お迎えすることに決めた。その ために2階から1階のアトリエに降りてきたかのようですね、とは作家の言。作家にそのように言われると嬉しく思う。初めて所蔵する0号作品になった。 作品の物理的サイズ、作家が描く線・色彩・形態の作る絵画空間のスケール、観ることで鑑賞者に生じる感覚のスケール。短いけれども極めて充実した『 セザンヌは何を描いたのか 』(白水社、1988) の中で著者の 吉田秀和が述べていた絵画の3つの層 (特にpp. 31-)。作家が意識するしないに関わらず、 どの絵画作品も、 分離しつつ共存するこれら3層を程度の差はあれ持っているのだろう。 吉田秀和はセザンヌの絵画分析でこれらの3層を論じていた。セザンヌは3層の分離・共存・統合を明晰に意識して絵画制作に取り組んでいた、と。日本で容易に数多くの実物を観ることのできる作家としては、熊谷守一の小さいサイズの絵画作品などにこのようなサイズとスケールの感じがある。例えば 豊島区立熊谷守一美術館 において。 所蔵している矢野さん

矢野静明氏のアトリエに伺う

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( 某日。 画家の 矢野静明 氏のアトリエにお邪魔する。  リンク先にあるように自分は矢野静明絵画作品のサイト管理人であると同時に、 こちらのサイト で分かる通り、矢野さんの作品を複数所蔵している。 そういうこともあって折を見てアトリエに伺うようになった。今回で10回目近くになるだろうか。 その時に制作途中の作品群、手を加えた過去作品や未見の過去作、をいつも見せて下さる。油彩、水彩、インク、パステル、木炭、墨汁と多様な画材を使用した、同一の画家による作品群とは思えない作品群を40年以上に渡り制作している。 今回のアトリエ訪問時の写真 見せて下さった初見の過去作品 タイトル: 砂漠の光 (2002) サイズ: 730x1090(mm) 墨汁・アルシュ水彩紙 絵画だけではなくさまざまな話題についていつも楽しく興味深くお話しさせていただいて、感謝している。 なお矢野静明氏には2冊の著作と1冊の作品集成がある。 絵画以前の問いから―ファン・ゴッホ (Le livre de luciole 54) (書肆山田、2005) 日本モダニズムの未帰還状態 (りぶるどるしおる 82) (書肆山田、2016) 矢野静明作品集成―種差enclave (ICANOF、2014) 他にも論文や対談が思想・批評誌 (例えば  Art Critique No. 3 、 Art Critique No. 4 ) や「現代詩手帖」などに掲載されている。また絵画作品はさまざまな書籍の装画として使用されている ( 詩集1 、 詩集2 、 詩集3 、 詩集4 、 詩集5 、 詩集6 、 詩集7 、 文学研究1 、 文学研究2 、 文学 、 アート書籍 、 社会科学書籍1 、 社会科学書籍2 、 社会科学書籍3 、など)。 快晴で寒さも和らぎ素晴らしい天気。往路は車で迎えに来て下さる。帰路は徒歩で駅まで歩くことにする。良い散歩。 過去のアトリエ画像 2019年12月 2020年4月 2020年5月 2020年7月 2020年10月 2021年11月 写真を撮り忘れた訪問もある。 アトリエ訪問の続きエントリー「 矢野静明作品をお迎えする (1) 」「 矢野静明作品をお迎えする (2) 」「 アヴィシャイ・コーエン、旧約聖書、矢野静明作品、従兄弟 」 Stereolab, Dots & Loop

塩焼きそば、鶏肉スープ、ミックスドビーンズの炒め物、など

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( 某日。 Zsofia Boros, En Otra Parte ; Fennesz, Bécs 、を聴く。 「 ラム肉、エビ、カボチャで3品作る 」のエントリーで言及した低糖質生活実践中のお宅に伺う 。時間は昼前。 ランチはこんにゃく中華麺を何かにして食べたいとのことで、冷蔵庫の余り物を入れた塩焼きそばを作る。ソースは糖質の含有量が多いためNG。具材はにんじん、白菜、玉ねぎ、長ネギ、豚肉、椎茸、の細切れ群。味付けは塩、胡椒、最後に焦がし醤油。胡麻油。 こんにゃく中華麺は水分含有量がとても多いため、あらかじめ炒めて水分を適量飛ばすことを試みる。たっぷりの胡麻油で炒めると水分なのか何かが溶け出しているのか、水気の多い謎の細かい泡が大量に発生し、カルボナーラのように泡が麺にまとわり付いた状態になる。大失敗かと思ったがそのまま強めの中火で炒め続けてみる。半分揚げ煮のような調理で、結局は焼きそば風になってホッとする。気に入って頂けたようで良かった。これで低糖質食レパートリーが一つ増えた。こんにゃく中華麺、一袋88円也。 ディナー用の買い出し。冷蔵庫の余り物もできるだけ使ってディナーを作る。4品。 1品目。鶏肉と野菜のスープ。もも肉1枚はフライパンで皮目の方から焼き色がしっかりつくまで 弱火でじっくり焼き余分な油(オメガ6が殆ど。多すぎる)を落とす。 水と粒黒胡椒を入れた 大鍋に野菜群を投入する。玉ねぎ、キャベツ、にんじん、大根、れんこん、マッシュルーム、エリンギ。塩を入れ強火でグツグツ煮る。鶏肉を焼く最終段階でローリエの葉3枚を入れ鳥の脂で少しだけ火を通す。鶏肉を取り出して適当な大きさに切り、ローリエの葉と共に大鍋に入れてさらに煮込む。塩で味を整えてで完成。お好みで食す際に胡椒を。3日分はできた。 2品目。スープ用にミックスドビーンズ Mixed Beans 各種豆類(ガルバンゾ、キドニービーンズ、など)を購入したのだが、スープの具材が多すぎてスープには入れず、急遽別メニューを作ることに。余ったマッシュルルームとエリンギ、玉ねぎ、ニンニクのみじん切りと共にエクストラヴァージンオリーブオイルで炒める。炒める際にターメリックパウダーも適量入れる。塩胡椒、MDHチキンマサラで味付け。簡単で美味しい。 3品目。ほうれん草が余っているとのことで、グラスフェッドバターで炒め塩胡椒で味

毎日ほぼ同じ格好をしている

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( Ryoji Ikeda, Supercodex をまずは聴く。 再生頻度はそれほど高くはないけれども大好きなアルバム。BGM的にかけておこうとするのだが、耳が集中してしまい聴くとある種の疲弊感が残るのだった。 アルバムレヴューとして例えば こういうものがある 。 バランスを取ろうと、中島ノブユキ、 エテパルマ〜夏の印象〜 を久方ぶりに聴く。 毎日ほぼ同じ格好をしている。着替えてはいるけれども。 2012年頃から、自分の好みの範囲内で、徐々にしかし明らかに身体への負荷が軽くコーディネートの労力を要しない服装を選ぶようになった。 加齢に伴う気力体力配分の変化と関連しているようだ。 昔からそれなりに洋服は好きだ。それが、見た目や素材が好みの服装でも重さやパターンニングなどの点で身体に疲れを感じるものを着るのが少しずつ辛くなる。 レザーブルゾン、ウールのジャケットやコート、デニムは重すぎる。シャツは体が凝る。ベルトよりも紐が楽。 着脱を含めたさまざまな状況で紐履の紐の融通が利かないのに嫌気がさす。通常のソックスよりも五本指のそれの方が、体重の移動とその移動に伴う足指の力の地面への伝わり方を上手く処理している感じがして快適で疲れない。など。 素材が合わなくなることもある。前はユニクロのエアリズムやヒートテックを問題なく着用していたのだが、徐々に皮膚が乾燥する感じと皮膚呼吸が阻害され息苦しい感じがするようになった。気のせいだったのだろうか。あるいはたまたま身体がそういう時期だったのかもしれない。素材をメリノウールに変えてからどちらの感じも消えていることは確かである。 あるいは多様な色・素材・ジャンルの服装のコーディネートを考えるのがだんだん面倒になる。 気力体力を服装のために削がれてるあるいは浪費している感覚があった。 気力体力にも感覚にも個人差があり、このように感じない・思わない人もいるだろう。感じた自分はその感覚に従い、服装のための気力体力の配分を最小限にして全体的な気力体力の配分を変えることにした。 とはいえ服装の好みがある。服装のことをあまり考えずにしかし好みの範囲内で最も快適なものを身に纏っていたいと感じるようになった。 機能性、軽さ、素材、耐久性、飽きの来ないシンプルかつ最適な快適さを齎すパターンニング、限られた色、などを重視して、どのように組み合わせても大丈

ただあやの展『夜の寄る辺』展示とは無関係のたださん作品を購入する

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( 某日。 西武渋谷そごうB館8階で開催されている Shibuya Style vol. 16 を観る。50名以上の作家の作品が展示されていた。 西荻窪の Gallery Face To Face にて「 ただあやの 展  夜の寄る辺 」を観る。 昨年、同ギャラリーで同作家の作品群を拝見した時に気になっていた作品があった。今回の個展では旧作近作を展示とのことだったので、新作に加えて、気になっていたその作品が展示されていれば今一度観るつもりだった。 展示はされていなかった。昨年すでにその作品について同ギャラリーのオーナーにお伝えしていた。その作品について再度お聞きするとオーナーさんは自分が昨年その作品について聞いたことを覚えて下さっていた。 オーナーさんが在廊していた作家本人にその作品について尋ねて下さる。 作家の家にあるとのこと。さらに、翌日も在廊予定なので持ってきて下さることになった。今回の展示とは関係のない作品ということも含めて、恐縮する。 翌日。同ギャラリーに伺い、作家にお礼を言うとともに少しお話しをする。 作品を今一度拝見して購入する。タイトルは『喰らう』(2021)。展示された作品は売約済みになることが多い作家だけれども、個展とグループ展と計2回展示したにも関わらず売約にならず作家の手元に残っていた。 後日、受け取った同作品を自宅で撮影したもの。 画面中央の小さく明るい点は撮影時フラッシュの反射。 作品サイズ556x217、フレーム外枠698x363 (mm)。画用紙に岩絵具。 設置風景 以前は和紙を使用していたが、試行錯誤の結果、画用紙を使用した方が表現方法と表現内容との一致の感覚がありしっくりくる、とのこと。 多かれ少なかれ全ての作品に共通する岩絵具による色彩や絵肌の質感はそれ自体として魅力的ではある。ただそれとは別に、数は少ないけれども作家が時折発表する、顔が分割されている作品の系列がなぜか気になるのだった。 作家のサイト から同系列の別の作品画像を1つ借用する。 今回の個展でも同系列の作品が1つ展示されていた。横長の画面左側に上記借用画像の顔を縦にしたものが配置され、その顔片から画面中央を水平右側に伸びる木の枝が描かれ、その枝のほぼ右端に青い鳥が留まっている、という構図の作品。撮影はしなかったので画像はないけれども。 (追記。当該作品画像は、個展会

古書を買い取って貰い、古書を買う

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 ( 某日。 よく行く古書店で書籍の買取をお願いする。今までに何度も、合計で1,000冊程度は買い取って頂いていると思う。 いつもこちらが十二分に納得するお値段をつけて下さる。ありがとうございます。 本日は9,000円。査定中に店内で見つけた、極めて状態良好の  Cézanne: Finished, Unfinished (Hatje Cantz Publishers, 2000) を3,000円で購入する。 Kunsthaus Zürich チューリッヒ美術館で行われた同名の展覧会に際して作成されたもの。大判で、カラー・モノクロ含め360もの図版と、6つの学術的論文が収録されている。408ページ。 絶版で、どの古書サイトを見ても遥かに高い価格がついている ( 例1 、 例2 、 例3 )。この価格で良いのだろうかと購入側が思うほどの価格で買えてしまった。ありがとうございます。 セザンヌの、ほとんど知られていない「未完成の (unfinished)」の、その多くは個人蔵の逸品群が展示されている。“unfinished yet complete” な作品群。このことが展覧会を特別に素晴らしいものにしているようだ。現在は the National Gallery of Art, Washington で Senior Curator and Head of Modern Art を務める Harry Cooper がそのような レヴュー記事 をArtforum上に書いていた。  “But along with the familiar pictures were little-known gems, radically unfinished, many from private collections. The inclusion of these, rather than all the iconic Bathers and Mont Sainte-Victoires (although several were here, too), is what made the exhibition so remarkable.” 見応え読み応えがありそうで楽しみ。これで所持しているセザンヌ関連本は和洋合わせて13冊になった。何度も読み返すであろうと思うものを購入している

ヘレン・フランケンサーラーの作品集が届く

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( 某日。 Helen Frankenthaler  / ヘレン・フランケンサーラー の作品集 Helen Frankenthaler: Painterly Constellations (Walter König;  bilingual in  English and German, 2022) が届く。表表紙 裏表紙 表裏両表紙は1枚の同じ絵画作品の部分。 1949-2002年に描かれた作品群画像が6つの時期に分けられて掲載されている。各時期の主要作品群が同時期の紙に描いた作品群と併置され、解説が付く。綺麗なカラー図版で収録作品数も多く見応えがある。 他に3冊の フランケンサーラー作品集を持っている。1つは、 Frankenthaler: A Catalogue Raisonné, Prints 1961-1994 (Harry N. Abrams, 1996). もう1つは、 After Mountains and Sea: Frankenthaler 1956-1959 (Guggenheim Museum, 2003).  最後の1つは、 Helen Frankenthaler Composing with Color: Paintings 1962-63 (Gagosian /Rizzoli, 2014). どれも現在Amazonでは、今なら買えないとんでもない高価格が付いている。 これら3冊も含め作品を見返して、改めて1960-1965年辺りの時期の作品群、特に1962-63年の作品が好みだと確認する。色彩と色彩の不定形の面と共に、描いているというより染めているという感覚が好きなのだろうか。 上掲最後の作品集は 自分が好む 1962-63年の作品集で、 2014年にニューヨークのギャラリー Gagosian ガゴシアンで行われた同名の フランケンサーラー展 の図録。この展示を見るためにニューヨークに行こうか迷ったが結局行かなかった。 今回購入した作品集には、ガゴシアンでの展示作品集には掲載されていない、1962-63年の作品が掲載されていた。これらも素晴らしい。この投稿冒頭の表裏両表紙に使用されている絵画作品も1963年制作のもの。タイトルは Grotto Azura .  DIC川村記念美術館にて、フランケンサーラーやモーリス・ルイスなどの作