浜松・静岡旅行 (4) 芹沢銈介美術館・芹沢銈介の家を見る
( 某日。 エントリー「 浜松・静岡旅行 (3) 熊谷守一の年賀状を見てタイ料理を食べポップコーンをつまみに飲む 」の続き。 帰京の日。 宿泊している静岡アソシアのホテルの部屋にて7:30起床。前日うなぎの食べ過ぎであまり眠れなかったせいか、この日は一度も起きずに8時間ほど寝た。体調が良い。 シャワーを浴びコーヒーを飲む。8:00にパートナーを起こす。 9時前から朝食。ブッフェにて野菜を中心に。 オニオンスープ。サラダ。トッピングとドレッシングが充実している。キヌア、オリーヴオイル、塩胡椒。ドレッシングは使わず。蒸しブロッコリー。小さな鯖の塩焼き一切れ。シラスのオムレツ。こちらにもサラダを。冷たい静岡緑茶。 2杯目。つい第二回戦と言いたくなるのだが、日常の行動を形容する際に「戦い」の比喩はできるだけ使わないようにしている。イヴェントで良いものが安く買えた時の「戦利品」、何かに参加すること、例えばコンサートやライヴに行く際に使われる「参戦する」など。長らく日常的に使用している言葉が自分の振る舞いや雰囲気・思考に与える影響というものがあるのではと思っている。言葉だけでなく口調、話す速度、声の高低、リズム、イントネーション、表情なども。基本的に丁寧な言葉、穏やかに、ゆっくり目で、やや低めに、メリハリをつけて、柔らかな表情と物腰で。馬鹿にしないこと。プライドを傷つけないこと。意地悪をしないこと。全体としてそのように振る舞う方が結果的に対人コストが安く済むということもある。全体としてというのは、そのように振る舞うことで他人に不快感を惹起する可能性や程度が小さくなることと、そのように振る舞うことが他人には余裕の顕れであると映りマウントを取られたと解釈され不愉快な気持ちを引き起こすかもしれないこと、を合わせて考えればというほどの意味。完了した自分の振る舞いを他人がどう感じるかは自分では統御できない。自分にできるのは、後者のようなことがあればそういうこともあるだろうと受け入れて、後者のような人を可能な限り避けることぐらいだ。社会的動物である人間は他人と自分とを比較して自分に都合の良いように解釈する傾向を強く持っている。全体としてほどほどに上手くいけばそれでよしとしている。 話が逸れた。朝食2杯目。 静岡名物もつカレーというのがあった。それ少量、ごく少量の白米と共に。サラダお...