毎日ほぼ同じ格好をしている
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Ryoji Ikeda, Supercodex をまずは聴く。
アルバムレヴューとして例えばこういうものがある。
バランスを取ろうと、中島ノブユキ、エテパルマ〜夏の印象〜を久方ぶりに聴く。
2012年頃から、自分の好みの範囲内で、徐々にしかし明らかに身体への負荷が軽くコーディネートの労力を要しない服装を選ぶようになった。
加齢に伴う気力体力配分の変化と関連しているようだ。
昔からそれなりに洋服は好きだ。それが、見た目や素材が好みの服装でも重さやパターンニングなどの点で身体に疲れを感じるものを着るのが少しずつ辛くなる。
レザーブルゾン、ウールのジャケットやコート、デニムは重すぎる。シャツは体が凝る。ベルトよりも紐が楽。着脱を含めたさまざまな状況で紐履の紐の融通が利かないのに嫌気がさす。通常のソックスよりも五本指のそれの方が、体重の移動とその移動に伴う足指の力の地面への伝わり方を上手く処理している感じがして快適で疲れない。など。
素材が合わなくなることもある。前はユニクロのエアリズムやヒートテックを問題なく着用していたのだが、徐々に皮膚が乾燥する感じと皮膚呼吸が阻害され息苦しい感じがするようになった。気のせいだったのだろうか。あるいはたまたま身体がそういう時期だったのかもしれない。素材をメリノウールに変えてからどちらの感じも消えていることは確かである。
あるいは多様な色・素材・ジャンルの服装のコーディネートを考えるのがだんだん面倒になる。
気力体力を服装のために削がれてるあるいは浪費している感覚があった。気力体力にも感覚にも個人差があり、このように感じない・思わない人もいるだろう。感じた自分はその感覚に従い、服装のための気力体力の配分を最小限にして全体的な気力体力の配分を変えることにした。
とはいえ服装の好みがある。服装のことをあまり考えずにしかし好みの範囲内で最も快適なものを身に纏っていたいと感じるようになった。
機能性、軽さ、素材、耐久性、飽きの来ないシンプルかつ最適な快適さを齎すパターンニング、限られた色、などを重視して、どのように組み合わせても大丈夫な諸製品を選ぶようになった。服装のことに割く気力を最小限にしつつ、自分の好みに一番合う服装。自分にとっての最適な妥協点を見出すために取り敢えず気力を割いた。
試行錯誤の末、2019年までに製品を選び終わり、それ以来決まった製品だけを身に着けている。製品選びに気力を割く必要もなくなった。製品の種類は極めて限られているが、同じ製品を複数購入しているので服の数は足りている。
コーディネートを考える必要もなくなった。上着であればハンガーに吊るしてあるものを右から着て着たものを左に吊るしていく。パンツあるいは下着であれば衣装棚の1番上にあるものを穿いて洗ったものを1番下にしまう。など。機械的に順番に身に纏ってゆくだけ。寒い時期にはそれ用の、暑い時期にはそれ用の、ほぼ同じ outfit 服装をしている。
2023年に向けたYoutube 動画を3本見る。
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