アヴィシャイ・コーエン、旧約聖書、矢野静明作品、従兄弟

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某日。


2作品の画像だけを従兄弟に送信する。すぐさま返信がくる。

返信内容にハッとする。「このアルバムが合うんじゃない?」とAvishai Cohen のSensitive Hours への言及があったからだ。


すぐさまの返信なので直感的にそう判断したということだろう。

ここでのAvishai Cohen はイスラエルのジャズダブルベーシスト (同名の別人トランペッターがいる) を指す。そのAvishai Cohenによる、2008年にイスラエル国内限定で発売された、伝統的なイスラエル音楽に深く根ざしたヘブライ語で歌われる歌ものアルバムで、ヘブライ語の原題は「Sha’ot Regishot」となっている。

画家に知らせると画家も驚いていた。

ユダヤ教ともユダヤ人とも全く縁がないけれどもユダヤ的なものに惹きつけられる。ユダヤの人による絵画を観るよりは、ユダヤの旋律を聴いたりイスラエルの荒涼とした風景を見ていると自分の感覚が揺さぶられる。上記 Avishai Cohenの歌には確かにユダヤ的な旋律を感じる。矢野さんはそのように言う。

「従兄弟の方、独特の感受性をお持ちですね」と矢野さんは続ける。

上記エントリーで述べたように、絵画作品のタイトルは旧約聖書にちなんだものである。

従兄弟は、作品タイトルを知らず、作品現物に触れる機会もなく、それらの画像を観ただけで、すぐさま上述のように返信してきたのだった。

確かに、従兄弟も自分もAvishai Cohenが好きでアルバムをいくつも持っている。従兄弟は歌ものメインのアルバムも聞くけれども自分は聴かない。自分は上記アルバムのことを知らなかった。

また、従兄弟は他にも多数の矢野作品画像を観ている。何らかの印象は持っているだろう。

こうしたことが無意識の枠組みとなって、自分が聴かないAvishai Cohenの歌ものを「合うんじゃない?」と直感的に判断したという側面はあるかもしれない。

あるいは機序がどうであれ、自身がそう感じるのならそう感じるということではある。その感覚が画家の意図や感覚に合致すればその感覚は正しい・もしくは近ければそれだけ精度が高い、合致しなければその感覚は誤り・もしくは遠ければそれだけ精度が低い、ということはない。ここには正誤、精度の高低、はないのだろう。

とはいうものの、従兄弟の直感的な返信内容に画家も自分も驚いたのだった。

2作品画像とタイトルを再掲する。


「メギドンの谷」


「エクロン」

前エントリーで述べたように、矢野作品には他にも旧約聖書関連のタイトルが付けられたものがある。いずれブログで紹介する機会があるかと思う。

To Rococo Rot, The Amateur View; などを聴く。


1999年に発売され、Pitchfork Mediaに載っていたレヴューを読んで興味を持ち買った記憶がある。23年以上聴いている。
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