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5月, 2024の投稿を表示しています

ひとりごとを言い3日ぶりに人と話しウィスキーを飲む

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( 某日。 エントリー「 佐藤誠高、ソー・ソウエン、荒木由香里、展を観る 」の続き。 銀座駅から銀座線で渋谷駅に出る。 Susanna Mälkki and Los Angeles Philharmonic,  Steve Reich: Runner / Music for Ensemble and Orchestra を聴いている。 この3日間、隣のスーパーマーケットでの食材買い物以外は外出していなかった。会話をしない。またこの3日間パートナーが海外出張のため家でも話す人がいない。ということで3日以上誰とも話しをしていない。 エントリー『 ひとりごとを言う能力「精神健康の基準について 」』でも記したように、こういう状況だとたまにひとりごとを言っていることに気づく。 そのエントリーで記したこと。 ******** 中井久夫氏がひとりごとを言う能力について書いていたことを思い出す。 本棚から本を取り出し探してみると、精神の健康の基準の一つとして「独語する能力」を挙げていた。中井久夫「精神健康の基準について」、『 「つながり」の精神病理 』(ちくま学芸文庫)所収、pp. 237-248 (ここでは p. 247)。 「精神健康」とは「精神健康をあやうくするようなことに対する耐性」と定義され (p. 237)、17の耐性能力について述べられている。 「精神健康の基準について」は30年ほど前に違う著作所収版を読んで心を打たれた記憶がある。 引き続き本をチェックしてみる。 『 精神科医がものを書くとき 』(ちくま学芸文庫)所収「ストレスをこなすこと」では、独語についてのエピソードとして、国連からアフリカの奥地に独りで派遣され喋る相手が誰もいない状況で長期間過ごした人が、そういう状況下ではいろいろ独語していないと精神的にやっていられない、と中井氏に言っていたことを挙げている (p. 287)。 『 世に棲む患者 』(ちくま学芸文庫)所収「医療における人間関係-診療所治療のために」でも、ひとりごとについて同趣旨のことを中井氏に語った別の日本人のエピソードについて書かれている (pp. 225-6) 。 「壁に向かってひとりごとを言うより、人間に向かってひとりごとを言うほうが精神衛生にいいわけです。壁に向かってひとりごとをいっても、何も言わないよりましです」 (「ストレス...

佐藤誠高、ソー・ソウエン、荒木由香里、展を観る

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( 某日。 エントリー「 太田翔平展、岩崎知子展を観る 」の続き。 日本橋駅から再び銀座線に乗車して銀座駅で下車する。 Ginza Sixに入り銀座蔦屋のあるフロアーに移動する。 まずは佐藤誠高個展「 Reality -Dancing on the Edge- 」 を観る。 顔の精密な部分は鉛筆で描写しているようだ。写真と見紛うかのよう。 「人物の目を覆い、花びらを塗り潰す。佐藤誠高がモチーフとするのは、実在の人物や花などです。彼はパネルに向き合うと、まず、写真と見間違えるほどの精密さでモチーフを鉛筆の線のみで模写していきます。パネルいっぱいのサイズに描き上げた鉛筆画が完成すると、自分で描いた「物を語りすぎる目」や「美しさを誇張しすぎる花弁」を色鮮やかな多色使いのアクリル絵具で大胆に塗りつぶします。一般的に人々がもっとも美しいと目を奪われる部位をあえて絵具で覆い隠すことで、モチーフ自体がもつ本来の美しさを表現しています。」 作家の言葉 「「リアルとは、例えば表面的な美しさに表れるものではなく、そのうちに潜む狂気と社会性、本能と優しさなど、様々なものごとの狭間で保たれている危うい均衡の上にこそ見えるものである。」 非常に寡作な作家のようだ。 同フロアーFoam Contemporaryにて開催中のソー・ソウエン個展「 Let us see what you see. 」を観る。 こちらも顔モチーフ。 「代表作のひとつ「tie」シリーズは、人物の証明写真をピクセル状に分解し拡張して描いたポートレート作品」とのこと。 続いて銀座蔦屋書店インフォメーションカウンター前で行われている荒木由香里個展「 Talkative happy colors 」を観る。 作家の言葉 「私の制作は、物、空間、言葉と出会うことから始まります。身の回りにある装飾品や日用品、玩具などかつて何かであったもの、誰かの想いや考えが反映されたもの、場所を旅して時を経たものなど、色、素材、用途、先入観、イメージ、全て受け入れその素材を寄せ集め、出会えた感動を大切に再構築し、新たな意味を手繰り寄せて物や空間と対話するように制作します。  手法としてはアッサンブラージュです。着彩はせずにそれぞれの物が持つ色と特徴と美を抽出し、色の力と色により集まったものを空間表現するように配置して再構築します。色と物、...

太田翔平展、岩崎知子展を観る

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( 某日。 エントリー「 黒田アキ展、川邉耕一展を観る 」の続き。 ギャラリーを出て地下に降りる。地下鉄銀座線に乗車して次の日本橋駅で下車する。 地下から日本橋高島屋本館に入り6Fに昇る。 美術画廊Xで開催されている太田翔平展「 (un) masqued 」を観る。 「乾漆技法による仮面「的」造形作品を制作し注目を集める作家」とのこと。 まずは作品 「太田氏は、自我と社会との間に形成され、その個人に求められる社会的な役割を円滑に演じるための「仮面」の存在を、自身の実体験により強く意識するようになります。仮面を研究する中で、ユングによる「ペルソナ」の概念を心的外傷痕=瘡蓋と捉え、自我を守るという機能に付随する硬度を表現するには、ウルシノキの傷を覆って硬化する特性を持つ漆こそが相応しい素材であると思考しました。 こうして形象化されていく太田氏の作品は、日々の状況や感情、役割に応じて仮面を着脱しながら刻々と変化する、一個人の中にも複数存在するペルソナを可視化していきます。 加えて、仮面が、社会側に見せていない自我の存在を逆説的に認識させる装置ともなり、ヒトが持つ無意識の側面をもその表現によって炙り出します。」 自分も仮面にはそれなりに興味がある。エントリー「 Bunkamura Gallery 8 で展示を観て、仮面についての本が届く 」で記したように、佐原真 (監修)「 仮面 そのパワーとメッセージ 」を所蔵している。 また、当ブログ内で時折言及するように、自分はアフリカの民族布をいくつか所蔵しているのだが、民族布だけではなくアフリカのマスクを含む美術工芸品に非常に興味がある。例えばConstantine Petridis (ed.),  The Language of Beauty in African Art (Art Institute of Chicago, 2022)  を持っている。所収の仮面を含む諸品の画像を観て解説を読んでいる。 そういうわけで太田翔平展を非常に興味深く観る。購入に惹かれる作品もあるけれども、新生活、設置場所、設置して毎日接する場合の作品の圧、のことなどを考えて購入はせず。 大阪・国立民族学博物館では特別展「 日本の仮面 」が開催のようだ。残念ながら行くには遠すぎる。 Boom Boom Satellites, Out...

黒田アキ展、川邉耕一展を観る

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( 某日。 隣のスーパーマーケットで食材を買う以外、3日間外出していなかった。 気分転換に外出する。銀座線の三越駅前で下車する。混み合う地下高級食品街を歩き回って楽しんでから本館6Fのギャラリーに向かう。 まずは黒田アキ展「 COSMOJUNGLE 」を観る。 「代表作でもある抽象的な人型モチーフシリーズをメインに、ギリシャ神話に登場するミノタウロスやモノクロのMIDNIGHTシリーズを展開します」とのこと。 続いて同フロアーで開催されている 川邉耕一展 を観る。 ギャラリーの説明 『「線の浮遊感と物の表層の存在感を密接に関わらせながら新しいイメージの絵画空間を創り出したい」と模索し続ける』作家とのこと 作家の言葉 「幼いころから壁や床などにできている引っ掻きキズやシミなど、日常の中にある何気ないものの表層の微妙な変化に興味を持ってきた。  森の中は様々な動植物が共存する食物連鎖の世界だが、生き物すべてが必死に生きている。  多種多様な生き物が、生まれ・生き・死んでいく中でまたそれぞれの種から再生し生を営んでいく。  この森の世界が滅ばなければ人類も滅ばないと思うからこの世界が永遠に続くことを願う。」 先ほどの刺激の強い絵画とは異なる質の刺激を受けつつ緊張がほぐれる。 さらに同フロアーで開催している北大路魯山人展を観る。撮影不可。ここではまた異なる刺激を受ける。販売もしている。価格はお問い合わせ。買わないし買えないけれども。 Four Tet, Pause を聴きながら外出した。 6:00  起床。 N Y 市場終値をチェック。   グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。   シャワー。   大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆  20g 、 260ml 。飲みながら 読書。 Robert M. Sapolsky,  Determined: A Science of Life Without Free Will   (Penguin, 2023)  を少し読む。 腕立て伏せ 10 回 x 10 セット。   9:00-9:30  第一食。自炊。マグネシウム  ( にがり顆粒  2g)...