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2月, 2025の投稿を表示しています

坂田あづみ個展と室井佳世展を観てウィスキーを飲む

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( 某日。 第2食まで在宅。 夕方に外出する。古書店をいくつか見て廻るも購入せず。 近くのスーパーマーケットに売っていない食料品を購入する。 移動する。西荻窪駅で下車してギャラリーでの展示を2つ観ていくことにする。 まずは歩いて ギャラリー蚕室 に向かう。 開催中の坂田あづみ個展「 Be Out of the Frame 」を観る。 刺繍台 ブローチ群。そのままアート作品として設置しても良さそう。 ドイリー Doily すごい圧の展示。混んでいたけれどもじっくりと観る。 作家の言葉 「昨年手芸道具をテーマに制作した「針刺し」に続き、刺繍をする際に布を固定し作業の範囲を定めるために使う道具「刺繍枠」をモチーフにした新作を発表します。 刺繍枠からはみ出さないよう、制約の中で自分らしく生きた先人たちへの敬意を込め、既存の枠組みや束縛を超えていく「新たなはじまり」を目標に刺繍を通して制作しています。」 ギャラリーを出る。外出中 Valery Afanassiev「 ブラームス: 後期ピアノ作品集 」 を聴いている。 歩いてギャラリー数寄和にも立ち寄る。 開催中の 室井佳世展 を観る。 ギャラリーを出る。 カフェに入る。コーヒーを飲みながら撮影した画像を補正、その後読書。 バーに立ち寄る。 今週のお花。 珍しい薔薇とのこと。 ウィスキーをストレートで5杯飲む。うち3杯。 お店の方とお話ししながら飲む。 23:00前に帰宅。 6:00起床。N Y 市場終値をチェック。   グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。   シャワー。   大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆  20g 、 260ml 。飲みながら 読書。 スロージョギング。腕立て伏せ 10 回 x 10 セット。   9:00-9:30  第一食。自炊。マグネシウム  ( にがり顆粒  2g) 、ビタミン B (Dear-Natura Mix) 、ビタミン C (L- アスコルビン酸   1.5g) 、ビタミン D3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu) 、亜鉛  ( Dear-Natura,  1 4 mg) 、ルテイン、ゼアキサンチン...

オムレツなどを作って読書をしておおはしたくま展を観る

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( 某日。 午後に横浜で用事があり13:30過ぎに外出予定。それまでは在宅。 パートナーのランチを作る。  定期的に作るパートナーお気に入りのレンズ豆のスープ。玉ねぎ・にんじん・マッシュルーム・ニンニクのみじん切り、ターメリックパウダー・カイエンヌペッパー・黒胡椒 (全てオーガニック)、コリアンダーパウダー、をコールドプレストエクストラヴァージンオリーブオイルを入れた鍋で軽く炒めて火を通す。トマトの粗みじん切りを入れてさらに炒める。水とオーガニックのオレガノ適量を入れて2時間ほど、さらにレンズ豆を加えて1時間煮込み、塩麹・ヒマラヤンピンクソルト・黒胡椒。大量に作った数日分はある。 白菜の浅漬け。適当な大きさに切りジップロックに入れリンゴ酢と塩麹を加えて混ぜるだけ。 冷蔵庫にクリームチーズと豆乳がある。オムレツにする。卵2個、豆乳適量、黒胡椒、塩麹、をボウルに入れて混ぜる。パンにコールドプレストエクストラヴァージンオリーブオイルを引いて玉ねぎのみじん切りを炒める。炒まったら粗熱を取って卵のボウルに入れて混ぜる。クリームチーズは棒状に切っておく。同じパンにコールドプレストエクストラヴァージンオリーブオイルを引いて卵液を入れる。途中で棒状のクリームチーズを置き入れて卵で包む。出来上がり。 美味しかったようで何より。 料理前には読書。 Sean Carroll, The Biggest Ideas in the Universe: Space, Time, and Motion (Dutton, 2022) を読み始める。三部作であるThe Biggest Ideas in the Universeの第一作目。 第二作目も発売済み。 The Biggest Ideas in the Universe 2: Quanta and Fields (Dutton, 2024) そのうち購入しよう。 横浜に向けて外出する。乗り継ぎの交通機関が軒並み遅延している。 到着。手続きをして用事を終える。 またしても乗り継ぎの交通機関が遅延している。 Jeff Parker,  The New Breed を聴きながら移動。 中目黒駅で下車して古書店デッサンdessinに向かう。 到着。2階は展示スペースになっている。開催中のおおはしたくま個展「 LONG NOON 」...

近藤亜美個展を観てモノ・フォンタナを聴きカマキリに会い再度外出してウィスキーを飲む

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( 某日。 エントリー「 Chalie Haden/John Taylorデュオを聴き小林亮平・小林紗織展を観て小林紗織作品を購入する 」の続き。 Newton 本店を出る。 続いて歩いて5分ほどのところにあるKatsuya Susuki Galleryに行く。 開催中の近藤亜美個展「 untitled 」を観る。 展示されているのは作家が「『私と私が描く絵画の関係性や立ち位置』について考え制作した新作の数々」とのこと。 作家の言葉 「置かれた環境や傍にあるものは、常に自分に必要なことやものであり、日々の選択によって囲いが作られている。ここ数年は時代の変化が著しく、無意識のうちに必要なものとそうでないもののバランスを取ることに慣れている気がする。 慣れは囲いを守ることができるが、囲いの外を覗くことは難しくなる。 モチーフは、日々の生活の中で目にしたものを描いている。描きたいものを選択し必要でない視覚はイメージに置き換え再構成している。 “過去”(モチーフ)を“今”描き、筆を置くことでまた“過去”となる。 描く“今”が、囲いの外に向き合おうとする。」 自分以外に居たもう1人鑑賞者が作品を購入していた。先程は自分が小林紗織作品を購入したところ。まずは購入することで購入者の基準でその人の生が豊かになるのだろう。加えて、購入することが作家の制作にプラスに働き、ギャラリーの経営に役立ち、アート世界が拡大とまでは行かなくても維持されることに繋がればと思う。 自分の生の豊かさにとって存在してほしいことにはできればお金を使うことにしている。音楽はサブスクではなくアルバムを購入する。書籍は図書館で借りるよりも書店・古書店で買う。芸術作品も、観るだけではなく、作品の良さを作家に伝えるだけではなく、購入する。購入だけがこうしたことの存在を助ける手段ではないのだろう。自分が使う額は微々たるものだから、そうした存在の維持拡大への貢献はないに等しいだろう。それでも 自分できるのはこれくらいだ。 ギャラリーを出る。都立大学駅に来た際もう一つ行くギャラリーにRise Galleryがあるのだが、本日は会期と会期の間で休廊中とのことでそのまま帰路に着く。 Mono Fontana,  Cribas を聴きながら。小林紗織を観て聴きたくなったのだった。大好きな音楽。 帰宅直前に歩いていると前方...

Chalie Haden/John Taylor Duoを聴き小林亮平・小林紗織展を観て小林紗織作品を購入する

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( 某日。 数日前、都立大学駅からほど近いところにあるギャラリー noie extent から次の展示のメールを受け取っていた。定期的に伺うことになったこのギャラリーのメーリングリストに登録しているのだった。 その展示がとても気になったので本日観に行くことにする。 10:30頃に外出する。交通機関を乗り継いで都立大学で下車しnoie extentに到着する。 開催中のとても気になった展示は小林亮平 小林紗織 二人展 「 人間音楽機 」。 「小林紗織は、音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「スコア・ドローイング」を主に制作しています。  彼女は聴覚から得た景色を自分の内側にある世界の記録として色や形を用いて表現しており、 描かれた作品は人それぞれの記憶や感情、感覚にそっと触れているように感じます。  本展ではスコア・ドローイングの旧作・新作に加えて、今まで手がけた書籍や雑誌などの装画作品の原画とその表現を用いた新たなシリーズ、本人が8歳から着用していた衣服を用いて記憶や思いの蓄積をこめた刺繍作品などを展示いたします。」 共感覚の持ち主のようだ。 小林紗織 作品群 DMに使用されている作品。 他 上記引用文で言及されている刺繍作品 一見して惹かれた作品があった。新生活のことを考える。余裕はないけれども購入しても新生活を脅かすことはなさそうだと思う、あるいは思いたい。新生活を脅かしそうになれば、そうならないように生活様式を変えて行けば良い。短期だけれども依頼された仕事があるじゃないか。そう自分に言い聞かせる。 ということで購入する。 購入作品 金銭的制約は別にして、作品購入を決める時に参照するのは、当該作品が、 視覚芸術作品であったとしても、自分の視覚に限らない諸感覚の (記憶の) 総体とある種の感応があるという体の感じだ。この諸感覚の総体は、自分の これまでの生の中で形成されまたその生を形成している、そのような総体。「ある種の」というのは、諸感覚の総体をその今まで在り方を強固にする方向に感応するのではなくて、その総体が自分の生にとって良い方向に拡充・深化・更新される予兆のようなものが感じられるように感応する、という意味。うまく言葉にできているとは思わない。そのような感じが生じているというだけで、感じの対応物もなければ拡充・深化・更新されたという客観的証拠も...