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都立大学で繁田直美展、北村早紀・石場文子2人展を観る

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( 某日。 某所で用事がありお昼前に外出する。用事を終える。せっかく外出したのでギャラリーに立ち寄って行くことにする。 交通機関を乗り継いで都立大学駅で下車する。noie extent に行き開催中の繁田直美 個展「 刹那をほどく 」を観る。  作家の言葉 「刹那の中で生きている“今”の私を 言葉の代わりに画面に描き写していく。 時には思いもよらない無意識の自分が現れたり。 言葉にできない感情も音楽を奏でるように描いていく。 刹那をほどいて“今”をみつめている。」 谷川俊太郎さんの詩「せつな」にインスピレーションを得たとのことで、詩の文面が壁に貼ってある。 文字起こし 「テーブルのうえにあった いちまいのかみ へやのドアをあけたら ふわりとゆかへ くうきにささえられながら みぎひだりに すべるようにゆれておちてゆく そんなどうでもいいできごとがすきなんでなのかわからない おちるまでのみじかいじかんを<せつな>というんだと センセイがおしえてくれた いをつけたら <せつない>じゃないか すぐにすぎさってしまうから いまはせつない れきしのほんがとりおとすせつなを わたしはとりあえずいきています」 谷川俊太郎「 バウムクーヘン 」(ナナロク社、2018) に所収の詩のようだ。 歩いてそばにある、ギャラリーを経営している額装屋さんでも展示が行われているので観る。 ギャラリーを出る。歩いてKATSUYA SUSUKI GALLERYに向かう。 到着。開催中の北村早紀 × 石場文子「 やま あるいはその他のABC 」を観る。 北村早紀さんについて。「2023年以降、古写真に映る社会的な記号を失った被写体を「無重力的人物像」として着目し、自身が撮影した山中・山上での写真とを合成し、さらにその上に「不在の存在」としての木版表現を重ねることで、生命が持つ境界の曖昧さや相対性、時間や存在のゆらぎに意識を置く自身の版表現との融合を試みている。」 石場文子さんについて。「写真を媒体に日常的な風景を取材し、そこに実際の面や線によって介入することで、鑑賞者の「見る」と「認識する」の間にズレを生じさせ、視覚認識のあり様へと注意を向ける作品を制作。被写体を黒く塗り、カメラで捉えた時に輪郭のように見える「2と3のあいだ」「2.5」シリーズや、24時間室内の観葉植物を撮影した映像...

横浜で手続きをし高橋いづみ展を観て図書館に書籍を返却する

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( 某日。 エントリー「 大丸東京でグループ展を、BUGで中屋敷智生・光島貴之2人展を観る 」の続き。 東京駅に戻りホームに入線してきた東海道本線に乗車する。幸い座ることができた。なかなか発車しない。車内アナウンスで「品川〜川崎間の踏切で車が立ち往生しているとのこと、情報確認、対応、などでしばらく運転を見合わせます」とのこと。横浜での手続き予定時刻に遅れるかもしれない旨、相手にメールをする。結局20分ほど遅れて発車する。 横浜での手続きの時間には間に合う。説明を受け署名と押印をする。数ヶ月を要した手続きもほぼ終了。あとは手続きが処理されていくのを待つだけ。この件とは別に、自分の生活設計について一案を提示していただく。これまで考えたことのない選択肢だった。ありがとうございます。生活形態を変えることも含めていろいろとややこしいことが絡まっており、熟考を要する案件。 手続きの場所を出て移動する。またしても電車の運行に恵まれない中、西荻窪駅で下車してGallery FACE TO FACE ギャラリー フェイストゥフェイスで開催中の高橋いづみ展「 夜の凝灰岩 」を観る。 鉛筆。最後の作品には少し水彩が入っている。上記リンク先に「鉛筆表現とは思えぬ微細な階調」と書いているのだがまさにその通りの表現。細密画でもなくハッチングでもなく、塗った部分を擦ることで微細な階調を生み出しているとのこと。 元々は人形制作をされていた作家による人形が一つ置いてあった。毎日在廊されている作家が毎日連れてきては一緒に帰っていくそうだ。 ゆっくり観てからギャラリーを出る。 またまた交通機関に恵まれずいつもより時間がかかって帰宅。今日はそういう日のようだ。 Corinne Bailey Rae, The Sea を聴きながら横浜から移動していた。 図書館で借りていた書籍の返却日が明日に迫っている。明日から数日雨の予報。雨かつ気温が高い中歩いて図書館分室まで行くのは面倒なので、本日返却することに決めまた外出する。返却したのはこちらの書籍 橋本倫史「 観光地ぶらり 」(太田出版、2024) 前書きと後書きしか読んでいない。他の書籍は読んでいたから読む時間はあったはずなのだが、なぜか読もうという気持ちにならなかった。そういう時期なのかもしれない。 自転車で図書館まで行き返却。書架をチェックすることも新たに借...

大丸東京でグループ展を、BUGで中屋敷智生・光島貴之2人展を観る

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( 某日。 午後早い時間に横浜で用事がある。その前に展示を観ていこうと思う。展示を観たとしてもまだ外出するには余裕のある時間に交通機関運行状況を調べると、人身事故で運転中止、もうすぐ再開予定、になっていた。再開しても余計に時間がかかりそうなので急遽外出する。運転再開していたけれどもやはり動きはゆっくりで時間がかかる。 それでも横浜に移動しても用事には十分間に合う時間に東京駅に到着する。下車して大丸東京に入る。10階に昇りArt Gallery 2にて開催中のグループ展「 Laissez-Faire 」を観る。 敬称略。 長谷川彩織 飯田美穂 アサノジュンコ 川平遼佑 戸泉恵徳 永島千裕 泉茂雄 ギャラリーを出る。同フロアでは他にも二つ展示が開催されていたけれども観ずに下に降りる。 Catia,  Music with a View - Rio de Janeiro to Paris-   を聴きながら外出し観ていた。 大丸東京を出て八重洲口を駅沿いに南に歩き、駅に隣接しているグラントウキョウサウスタワーに入る。1階のカフェ奥にあるBUGにて開催中の中屋敷智生 × 光島貴之〈 みるものたち 〉を観る。 「本展覧会では、全盲の光島貴之(みつしま・たかゆき)、色弱の中屋敷智生(なかやしき・ともなり)という独自の仕方で世界を捉える二人の美術作家を取り上げ、〈みる〉ということについてあらためて意識を向けてみる機会を作ります。」 「本展覧会には、直接手で触れて鑑賞することのできる作品があります。 光島によるレリーフ状の新作では、木の板に連なって打ち込まれた釘により彼の住む街の姿が表現されます。路面のわずかな傾斜を敏感に捉える彼の感覚は釘の高低差に反映され、風を切って走り去る自転車は渦巻き状の釘のラインで表現されます。鑑賞者は、このように彼が視覚以外の観点からみる街のかたちを、手で触れることで追体験できます。 一方、中屋敷の絵画作品にはマスキングテープが画材として用いられるという特徴があります。キャンバスの中では異物とも言えるマスキングテープの存在は、絵画の物質としての存在感をよりあらわにするでしょう。この物質性は、色を明度でみる彼が独自のバランスで描き出す形象と非形象の間で鑑賞者の焦点を絶えず揺さぶるという現象をもたらすはずです。 このように、本展覧...