會見明也展、河野志保展などを観る
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某日。
エントリー「3人の「女性の抽象絵画作家」展示、中西智美展を観る」の続き。
新井画廊を出てGINZA SIXに入る。相変わらず海外からの旅行者で混雑している館内を昇り銀座蔦屋書店に入る。
開催中の會見明也展示「 I say “What should I see”, you say “see” 」を観る。
「私たちは今、何を見て、何を模範とするだろうか。
私の作品は、AIが描き出す「身体像」に対する違和感、そしてそれによって形成されるイメージへの問いから出発している。そこに現れる顔や手は、あまりに滑らかで、あまりに正確で、そして同時に、あまりに匿名的である。それらは誰かであるように見えて、実際には誰でもない──情報の交差点で生まれ、見る者の欲望によって組み立てられた、「見るための身体」あるいは「浮遊する皮膚」にすぎない。
流れる情報をスクロールするうちに、私は眼前の自分の身体を透明化し、画面の向こうにある身体へと視線を移していく。誰かの顔が、誰かの手が、アルゴリズムによって選別され、加工され、分解され、そして再び理想像として立ち上がる。そのプロセスに主体はいない。あるのは、欲望と制度によってかたどられた「模範のかたち」だけである。
私は、その模範的身体を絵画の中で分解し、重ね、ずらし、歪めていく。なめらかな肌は破れ、視線は重なり、意味を複層化させる。そこに遮るように置かれた手は、作者自身のものである。
「見ること」はすでに分裂しており、視線は錯綜し、そこに映るものは単一の存在ではなく、「見る制度」の痕跡そのものとなっている。顔も、手も、そして私自身のまなざしさえも、もはや誰のものでもないのかもしれない。」
続いて川人綾「書籍刊行記念展」を観る。
「空間に調和し、その価値を高める絵画彫刻を制作。ザ キャピトル ケンピンスキー シンガポール、ブルガリリゾート ドバイ、マンダリンオリエンタル 台北など、主にラグジュアリーホテルで作品を展示」「常に上質で洗練された仕上がりを追求」する作家とのこと。作家によって制作・展示環境への固有のスタンスがあるのだろう。
銀座三越を出る。Peter Erskine, Badlands
を聴きながら移動する。
西荻窪駅で下車してGallery Face To Faceに立ち寄り、開催中の河野志保展「濾されたイメージ」を観る。
「河野さんはインターネットなどの様々なSNSから得た膨大な画像をメディウム転写という技法を使って画面に幾重にもコラージュし、それに加筆する事で作品を制作しています。
画面はあたかも情報のカオスのようですが、河野さんによって「濾された」日常のイメージの集合は、ダイナミックな絵画的感興を見るものに与えながらどこか静謐な奥行きを感じさせます。」
作家の言葉
「小学四年生から抱えていた「死にたい」という感情は今も続いており、私が世界と接するフィルターとなった。
情報が過剰に流れ込む日常に向き合う中で、花や貝のイメージだけが濾されて最後に残った。
言葉にもならず取り残されたような像ではあるが、私はそれらを描く事でしか自分と正直に向き合う事が出来ない。」
ギャラリーを出て帰路に着く。
帰宅。宅配便が置き配で届いていた。ヨドバシのポイントがもうすぐ期限切れになるという連絡があり、通常Amazonで購入するサプリ、スパイス、レンズ豆をポイントで購入していた。ポイントが切れるということは2、3年前のヨドバシでの買い物だろう。エアコンと洗濯機あたりだろうか。商品はヨドバシエクストリームサービス便というので配達されたようだ。オーダーの翌日到着で送料は無料。名前の通りエクストリームサービスなのだが担当されている方々・部署は大丈夫なのだろうか。
16:00-16:30 第二食。自炊。ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g程度) を摂取。
雑用、音楽、youtube。
オーガニック生姜粉末を溶いた熱い生姜湯を飲む。
マグネシウム (にがり顆粒 2g) を摂取。
Coconut oil pulling、軽くストレッチと腹式呼吸、就寝。
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