内海聖史個展を日本橋三越で観る
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某日。
パートナーと一緒に内海聖史個展「カーキな視界」を観る。会場は日本橋三越本店6階にあるMISUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY。
自分は内海聖史さんの作品を3点所蔵している。うち1点、グリーンの作品は、パートナーとシェアして購入している。
内海さんの作品を見始めたのは2011年だと思う。それ以降、展示があればできるだけ観るようにしている。常に色彩とその都度異なる展示空間の相互関係を問い扱う展示を行なっていて展示空間としても興味深い。展示ではないけれども、虎ノ門ヒルズには巨大な作品が設置され、宿泊しなくても観ることができる。自分は2度観に行っている。
今回の展示作品群。
大型作品
赤、黄、青の3色の作品で、それぞれ2195 (h) x 10920 (w) x46 (d) mm。円柱状に展示されており全面を1度に視野に収めることはできない。
虹色の作品群から2点。
縦長 2405 x 755 (mm)。細長いパネルが組み合わされてできている。
全体と部分
作家による今回の展示タイトル「カーキな視界」についての説明がパンフレットに掲載されている。
「絵画」という物質や絵画の展覧会はどのくらいの時間で鑑賞者によって認識、理解、消化されるのかと問うて、作家自身は1、2秒、というシビアな答えを与えている。「制作にどれだけ時間を掛けようと、どれくらい多彩な要素を入れようと変わらず、そのバッサリと受け取られる残酷さが僕の思う絵画の面白さや潔さでもあります。」
以前にも同様のことを記していた、あるいはトークで話していたと記憶する。良い絵かどうか、良い展示かどうか、入った瞬間・観た瞬間に1、2秒でわかるしそう判断する、と。
そのように「断片的に鑑賞される絵画」の鑑賞体験が加算されて行けば、しかし、「鑑賞された時間が蓄積される」と仮定できるのではないか。
「展覧会という単位」で絵画を鑑賞することによって、「観た」という経験が蓄積する。具体的には、三原色、そこから派生する全ての色彩、を観たという経験が時間を伴って蓄積されると、蓄積された色彩は「カーキ・グレー」という色になる、と考える。
「カーキな経験が網膜に蓄積し」「カーキ色が視界に堆積する」ことになる。
ということだった。
高橋悠治「新ウィーン楽派ピアノ作品集」disk 1 を聴く。
6:30 起床。
グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。
シャワー。
大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆 20g、260ml。飲みながら読書。
ゆっくり腕立て伏せ10回x 7セット、合計70回。
9:00-9:30 第一食。自炊。マグネシウム (にがり顆粒 2g)、ビタミンB (Dear-Natura Mix)、ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g)、ビタミンD3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu)、亜鉛 (Dear-Natura, 14mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリンサプリ6錠、イヌリン粉末 5g、グリシン粉末 3gを摂取。
ストレッチ。
外出。
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