アダム・スウィフト「政治哲学への招待」を読む
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某日。
Robert Glasper Experiment, Black Radio; などを聴く。
Adam Swift, Political Philosophy: A Beginners’ Guide for Students and Politicians (Polity, 4th edition, 2019) を読む。
前回のエントリーで取り上げたDavid M. Eagleman, Incognito: The Secret Lives of the Brain に記されている現時点での科学的知見によれば、われわれの決定が本当に自由選択に基づくものだということを示す良い証拠は今のところ存在しない。自由意志の入り込む余地はない。同書籍では、この知見が持つ法制度全般(従って社会のあり方全体)への含意も論じられていた。
同様の科学的知見とその司法を含む社会的含意については、例えば Robert M. Sapolsky による長大な著作 Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst (Penguin, 2017) でも詳述されている。
Eagleman や Sapolsky らが論じていることを念頭に置いてAdam Swiftの書籍を読む。
Swiftは、政治理論あるいは政治哲学 Political Theory, Political Philosophy における政治 political とは特に国家、国家が「すべき」こと、「すべきでない」こと、国家との関係で市民の振る舞いはどう「あるべき」か、などなどの数々の「べき」 “shoulds”に関わる、という枠組みを採用する (p. 2)。
その上で、“The political issues, then, concern what principles should govern the state’s activities, and our actions as individuals in relation to it, given this analysis of what the state-- hence politics-- actually is” (p. 4; emphasis in original 強調原文) と述べる。強調部分は「政治が現実にどうあるかの分析を前提として、所与として、考慮して」ということ。
政治の主体は人間なのだから、同じことが人間についても言えるように思える。「人間が現実にどうあるかの分析を前提として、所与として、考慮して」。政治理論・哲学において、政治については現にそれがどうあるかの分析が必要だが、人間についてのそうした分析は必要ないという考えは説得力があるだろうか。
現時点で最も説得力のある「人間が現実にどうあるかの分析」を与えるものの一つは、人間の自然科学的分析だろう。
実際、Swift は少し後で「真理 “truth”」「諸科学における真理 “truth in sciences”」「理性 “reason”」を重要視し、それらに基づいて「自ら判断」(決定)する読者」(“readers will make their own judgments”) を信じる (trust)、と言っている (p. 6).
Eagleman や Sapolsky などの書籍が示すのは、人間についての現時点での「諸科学における真理」とは、理性に基づいて自ら判断する主体そのものがおそらく存在しない、自由意志もおそらく存在しない、というものだった。含意は、そうした主体や自由意志の存在が存在するという思いや感じは錯覚、幻想、虚構、虚偽である、というものだろう。こうした主体や自由意志が存在するという考えは、政治理論・哲学が成立するための最も根本的な前提だろう。
例えば、その著作の邦訳も多い、神経科学者の マイケル. S. ガザニガ Michael S. Gazzaniga は2012年に “Free Will Is an Illusion, but You're Still Responsible for Your Actions" という論説を発表している。
「諸科学における真理」を重要視すると冒頭で述べるSwiftは自身の言葉に従って、Eagleman, Sapolsky, Gazzaniga らが論じているような人間についての「諸科学における真理」とその政治理論・哲学への含意を、深く考察しているだろうか。政治理論・哲学が成立するための最も根本的な前提が虚偽であるのなら、虚偽を置くことと真理を重要視することとの間の矛盾をどのように処理するのだろうか。
読んでみると、Swift は人間についての「諸科学における真理」の考察や「人間が現実にどうあるかの分析」を行わないばかりか、言及すらしていない。政治理論・哲学の根本的前提に関わる事柄だと思われるのだけれども。
この第4版は2019年の出版でSwiftは第4版への序文も書いている。2001年の初版出版以降、より精緻になった人間についての「諸科学における真理」について考察する時間はあっただろう。それでもそうした「真理」について本文で加筆されていないし、第4版への序文でも言及すらされていない。
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