1/1/2024 新生活が始まり門出に絵画作品を頂戴する
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01.01.2024
本日より大きな変化を伴った新しい生活が始まる。
いろいろと考えること思うこと感じることがあり決めたのだった。
限りある生活資源 (リソース) の制約下、人それぞれがそれぞれにとって大切に思うものことひとがあり、それぞれの仕方でそれに接するのだろう。大切なものは何もない、という人もいるかもしれない。
人により興味・関心をめぐる違いがある。興味・関心がある、ない、興味・関心を持てない、持つことができない。興味・関心のために割くことのできる資源には多寡がある。資源を増やすために用いることのできる資源にも差がある。身体、精神、時間、金銭、人間関係、情報、場所、環境。
やりたいことはあるのにそのための資源がなくてできない。資源はあるけれどもやりたいとは思わない。やりたいことがありそのための資源も少しあるいは十分にある。資源の在り方が原因で興味・関心を持つことすらできない。興味・関心も資源もない。ある資源を増やすためには別の資源を減らすしかない。など。
そういうことがある。原因、程度、是非はともかくとして。
衣食足りて礼節を知る。貧すれば鈍する。そういう言葉がある。衣食足りて礼節を知らず。貧せず鈍する。衣食足らずとも礼節を知る。貧すれども鈍せず。こうした言葉はないかもしれないけど、こうした言葉で表されるような人もいるかもしれない。自分の場合、衣食足らずとも礼節を知る、貧すれども鈍せず、ということはないと思う。仮に僅かでも礼節があり、完全に鈍せずに済んでいるとすれば、その程度には衣食住が足りて、その程度には貧していない、ということだと思う。僅かな礼節を保ち、完全に鈍せずにいるために、その程度の暮らしは維持したくなる。
自分が納得できる暮らしの営みに必要な量の諸資源を確保するために、それなりの資源を費やす。自分にとって大切なものごとに相応しい仕方で接するために、それなりの資源を費やしたくなる。自分が大切に思う人が納得できる暮らしを営むのに必要な環境を維持するために、それなりの資源を費やしたくなる。運が資源の一種なのかはわからないが、運が良いと解釈できそうなことが生じれば、その結果を独占せずに自分が大切に思う人たちと共有しようと思う。運についてはエントリー「昔読んだ色川武大「うらおもて人生録」のこと」で少し記した。
このように費やしていくと資源はもうそれほど残らない。
心身の状態 ・ 時間(自由時間と拘束時間、持ち時間と残り時間)・お金 ・ 自他、のバランス、取捨選択、優先順位、トレードオフ。
これら諸要素間の安定を優先しすぎると面白さに欠けるかもしれない。面白さを追求しすぎると安定が犠牲になるかもしれない。
例えば自分は絵画を中心にいくつか美術作品を購入・所蔵している。支払いのために働きさらに購入するために働くという自転車操業的なやり方でこの道を追求し続ければ、突出したとは、あるいは狂気じみたとは言わないまでも、少しばかり常軌を逸した、ある種不穏な、その意味で「面白い」所蔵作品群が出来上がったかもしれない。ただその分生活はいざという時の余裕をあまり持たない、その程度には安定さを欠くものになっただろう。
「面白い」ということの感じとしては、 所有している書籍を例にとれば、Patric Mauris, The Cabinet of Curiosities (Thames & Hudson, 2019)
自分は特に絵画作品が好きで余裕があれば購入したいと思う作品がまだまだたくさんある。まずは購入してからどうやって支払うかを考える。あるいは設置場所が足りないのであればリノベーションするなどして作ればよい、まずは購入が先だ。ローンを組めばよい。そのような人もいるだろう。現にいるようだ。
自分はそういう人間ではない。贅沢な生活は必要ないし目指すこともないけれども、まずは自分にとっての生活の安定と心の平穏を考えてしまう。安定した平穏な生活を確保した上で、その制約下で自分の感覚と在り方にとって最良の作品を購入する。
「インテリア」の一部として「おしゃれ」な空間を演出するために絵画作品を購入しているわけではない。「おしゃれなインテリア」の一部としては密度と強度がありすぎる作品群を設置してある部屋は、確かにある種異様な空間を作り上げてはいる。それでも生活は全体として程々にお行機よく収まったものになっている。
総体的にバランスが取れていると言えば言えるけれども、目を見張るような常軌を逸した凸凹や不穏さがどこにも存在しない、ある種のっぺりした・ツルッとした生活様式になる。
自分にはそういう生活様式を求める方向に傾く気質が強くある。常軌を逸しざるをえないような衝動に欠けている。冒険しているように見えたとしても実はしていない。ダメかもしれないけれども一か八かでやってみるということがおそらくない。あるいはやってみるほど、もしくはやらざるを得ないほどに、こだわっている物事がない。自分で大丈夫だろうと思う方向にしか行かない。そう思う根拠の客観性はさておき。石橋を慎重に慎重に叩いて渡っている。
冒険「しなければならない」ことはないし、石橋を叩いて渡ることに問題はないけれども。
新しい生活について時々お話しする機会のあった画家の矢野静明さんより、新しい生活への門出に絵画作品を頂戴する。とても嬉しい。ありがとうございます。
水彩、アルシュ水彩紙
(1) 画面の大部分を占める、複数の水彩を画面に染み込ませては布で拭き取ることを繰り返すことで生まれる複雑な、矢野作品として珍しい色彩で満たされた、なめし革のような質感の紙の部分; (2) 画面右端と最下部の細い青い部分; (3) 画面中央上下と下部左右に見られる8つの小さな円形部分; (4) 画面下部の濃い色彩の長方形のような部分。
これらはそれぞれ別の紙による別々の作品を切り取ったもの。(2)の上に(1)が、(1)の上に 5つの(3)と(4)が、そして3つの(3)が(2)と(4)とにまたがるように、 貼り付けられてこの作品はできている。
Prince, Diamonds and Pearls などを聴く。
マグネシウム (にがり顆粒 1日4g程度)、ビタミンB (Dear-Natura Mix)、ビタミンC (L-アスコルビン酸1日3g程度)、ビタミンD3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu)、亜鉛 (Dear-Natura, 14mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリンサプリ、タウリンサプリ (1000mg)、ナイアシンアミド (500mg)、イヌリン粉末 6g、グリシン粉末 3gを摂取。
新しい生活がうまくいけば良いなあ。
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