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4月, 2025の投稿を表示しています

柳田有希子作品を受け取る

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( 某日。 エントリー「 グループ展で柳田有希子作品を購入しウィスキーを飲む 」で記したように、柳田有希子さんの小作品を購入していた。 本日はその作品を受け取りに伊勢丹新宿店に行く。いつものように本館地下食品街で視覚と嗅覚を楽しませる。6Fアートギャラリーに行き作品を受け取る。 アートギャラリーでは「 新春を寿ぐ若手アーティストのWA アートのチカラ 」を開催していた。ざっと観て帰宅する。 作品を扱う時用の白いコットンの手袋を装着して作品を取り出し撮影する。 タイトル: fragment (2411_31) 137x137(mm) 素材はチタニウムの板。技法は陽極酸化という電圧による着色。色はものそのものの固有色ではなく構造色。チタニウム板の表面に皮膜を作り、光の反射屈折干渉により観る側に知覚される色が出る。色というか見え方は光の環境や見る角度で目まぐるしく変化する。ただ素材と技法の特質上、赤い色は出せないらしい。以前作家とお話ししたときに伺った記憶がある。 上の画像の光環境は、室内に入った外で反射した自然光、LEDの電球色と昼白色、が混ざったもの。影の具合からも複数の光源があることがわかる。反射した自然光が背後から差し込んでいて、作品正面から撮影するときにどうしても自分の身体が光を遮るため作品下部が暗くなっている。 ギャラリーで撮影したもの。光環境はギャラリーの白い光。 見え方が全然違う。 自分が所蔵済みの 柳田さん作品と合わせて設置することにする。 基本的に1枚目の画像と光環境は同じ。少し引いて撮影した。自分の体が光を遮ることがないため、光が作品に当たり全く異なる反射と屈折を生み出し見た目が著しく変化する。作品下部が鮮やかなブルーになっている。 上掲画像の下作品が所蔵済みだった柳田作品。こちらもサイズ143x303(mm)の小作品。 こちらも光環境が変わると見え方が変化する。 この長方形の作品はキャンバスのように均等な厚さの板状の作品。 今回購入したものは、ピラミッドの頂点側を底辺に並行にある程度切り取ったような形状になっている。描写が難しいけれども。画像 作品の表裏についてはこ ちらの作家のインスタグラム の短い動画で見ることができる。 2作品間のさまざまな対比。形態、作品の角度、色合い、大きさ、シャープな印象の画面と朦朧体のようなあるいはモネの水彩画のような...

六本木でイェンス・フェンゲ個展・村瀬恭子個展を観てウィスキーを飲む

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( 某日。 エントリー「 中目黒でロバート・ボシシオなどによる3人展を観るも購入せず 」の続き。 104 Galerie を出て中目黒駅に戻る。この後、渋谷と六本木に行く予定。東横線で渋谷に出るか日比谷線で六本木に出るか迷う。 渋谷にする。渋谷駅で下車してウィリアムモリス珈琲&ギャラリーに行く。いつものようにモカをオーダーする。自分が行く時間帯は空いていることがほとんどなのだけれども本日は珍しく混んでいる。テーブル席に座り飲みながら読書をする。帰り際に空いてきた。店主さんと少しお話ししてお礼などをお伝えする。いつもありがとうございます。 渋谷で買い物をしてから都バスで六本木に移動する。停留所が変わっていた。 六本木の、ギャラリーが集合しているピラミデビルにあるペロタン東京に入る。 開催中のイェンス・フェンゲJens Fänge個展「 パーラー 」を観る。 スウェーデン生まれ在住の作家。ギャラリーサイトより引用 「イェンス・フェンゲは、20世紀初頭のコラージュと古代芸術である影絵を交差させながら、ペインティングのなかにペインティングを組み立てていくという、超現実的でマトリョーシカのような美学を構築してきました。ファンゲは折衷主義の達人であり、象徴的な肖像画から、静物画、家庭のインテリア、都市景観、風景画、幾何学的な抽象画まで、あらゆるジャンルの全階層を自身の作品に取り入れるとともに、パネル上に油絵具、鉛筆、ビニール、ボール紙、布などといった多様なメディウムや素材を用いて表現をしています。その洗練された絵による“劇”に登場する、輪郭的でしばしば“切り抜き”の主人公たちは、舞台のように重なり合う表現の層に流れ込むようです。こうして、それぞれの作品構図に留まらず、シリーズ全体を通して、視点の変化を伴う、複雑で無限に続く“迷路”が生み出されます。」 奥の部屋にあった常設展から Elizabeth Glaessner 続いてYutaka Kikutake Gallery に行く。田幡浩一、トム・ハウズ、ミヤギフトシ、本山ゆかり「 鳥の歌 」をやっていた。いくつか 会期終了後なのにたまたま空いていて入ってしまったらしいことに後で気付く。何も言わず鑑賞・撮影させて下さりありがとうございます。 Kotaro Nukagaにてビバリー・フィッシュマン「 Quality of Life ...

中目黒でロバート・ボシシオなどによる3人展を観るも購入せず

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( 某日。 午後軽く第2食目を摂ってから外出する。 交通機関を乗り継いで中目黒駅で下車し、徒歩で104 Galerieに向かう。 到着。開催中の3人展「 Dialogue with a Suspended Moment in Light(光のなかで浮遊する瞬間との会話) 」を観る。 出展作家はTeodora Axente テオドラ・アクセンテ, Vittorio Marella ヴィトリオ・マレッラ, Robert Bosisio ロバート・ボシシオ。 敬称略 Teodora Axente テオドラ・アクセンテ Vittorio Marella ヴィトリオ・マレッラ Robert Bosisio ロバート・ボシシオ 「この度のグループ展は、当ギャラリーを代表する作家、ロバート・ボシシオがキュレーションを手がけるという初の試みとなります。」とのこと。 ルーマニア出身のアーティストのテオドラ・アクセンテとイタリア出身の残り2人。 「ロバート・ボシシオによる解説: テオドラ・アクセンテ、ヴィトリオ・マレッラ、そして私は、それぞれの国で先人たちが積み重ねてきた絵画の伝統、文化からインスピレーションを得ています。テオドラの作風にはビザンチン文化の影響が見られますが、ヴィットリオと私は、初期ルネサンスからモランディ、カーラ、デ・キリコ、カゾラティなどの作品に至るイタリア絵画の流れを受け継いでいます。」 こうした絵画は日本からは出ないのだろうなあ、どうしてもこのような文化の圧倒的な厚みがないと無理なのだろうなあ、と身体が感じてしまう。素晴らしい絵画群だと感じるけれども、そう感じるように自分の感受性が作られてしまっているということもあるのだろう。複雑な気持ちになる。 作品は販売している。法外な価格ではない。ローンを組む、支払いのために働く時間をあるいは仕事を増やす、など。そのようにすれば買えないことはない。 極めて生活保守的な自分はそのような買い方はしない。少しだけ無理をして購入し続ければ、無理をした分だけ常軌を逸脱した「面白い」あるいは「不穏な」感じのする所蔵作品群が出来上がるのかもしれない。でもそういう買い方はしない。自分にとっての生活の安定と心の平穏を優先してしまう。それが悪いわけではないけれども。自分でも嫌になるくらい変わらない。自分の気質とでも...

東京駅まで見送りに行き明治工芸についての書籍を買い著者の訃報を知り作品配置を変える

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( 某日。 パートナーが日帰り出張で、朝の東京駅から新幹線に乗ることになっている。お見送りついでに一緒に東京駅に行くことにする。 もし人身事故などで東京駅までの電車が遅延して新幹線に間に合わないと大変なことになるので早めに出る。通勤満員電車を諦めと共に予期していたらそれほど混んでいなかった。朝から疲労困憊になるかと思っていたところ、助かった感がある。 無事東京駅に、早く到着する。カフェでコーヒーを飲む。 パートナーは新幹線に乗る。自分は改札を出てもう1度入り直して帰路に着く。改札を出ずに引き返して別の駅から帰宅してもバレないのだろうが、それはしない。ルールに従う「べき」という道徳・規範観が強いからというよりも、自分のインフラを構成しているものに対して適切な対価を払いそうしたインフラを支える、という気持ちからという感が強い。 帰宅。自炊で第1食目を摂る。 読書をする。 Charlotte Mullins, A Little History of Art (Little Histories) (Yale University Press, 2022) など。短い章に一つの話題。ありがたい。 エントリー「 甲府旅行 (2) 山梨県立美術館で展示を観て感覚が疲弊し頭が痺れる 」で記したように、展示「 超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA 」を観たのだった。明治工芸にも興味を持ったので出展品ついて調べると、京都にある 清水三年坂美術館 から 何点か出品されていた 。その美術館の設立者であり館長である村田理如氏が何冊か書籍を出しているのを知り、調べて2冊購入する。いずれも古本で。 村田理如「 幕末・明治の工芸: 世界を魅了した日本の技と美 」(淡交社、2006) 村田理如「 明治工芸入門 清水三年美術館村田理如コレクション 」(目の眼、2017) 村田理如氏のことを調べると、訃報が昨日出ていたのを知る。 こちらのサイト より引用 「1950年、京都生まれ。1980年代後半、出張先のニューヨークのアンティーク店で幕末の印籠と出会ったことをきっかけに、幕末・明治を中心とする日本の細密工芸を収集。海外に流出していた優品を多数買い戻す。2000年9月、収集品を展示公開するため、京都市東山区に清水三年坂美術館を開設。同美術館は、幕末・明治の七宝・金工・蒔絵・京薩摩・刺繍絵画を常設展...

内海聖史個展をBunkamura Gallery 8で観てウィスキーを飲む

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( 某日。 エントリー「 鶴間で発表会を見て表参道のスパイラルでグループ展を観る 」の続き。 スパイラルを出る。次の目的地は渋谷ヒカリエ。普段ならスパイラルから歩いて行くところだが風が強くとても寒いので諦める。身体第一。 表参道駅から銀座線で行くことにする。一駅だけれども。渋谷方面最後尾から乗車すればヒカリエ直通の出口がある。 ヒカリエに入り8FにあるBunkamura Gallery 8 に行く。 開催中の内海聖史展「 flapping painting 」を観る。 いつも展示空間・絵画の在り方・鑑賞のあり方を考えながら展示をする内海さん。 今回の大作。 内側にも作品が設置されている。観ることができないけれども。そのように意図されている。 この大作の全体像を一望することはできない。最上部も観ることができない。そのように意図されている。 ガラス越し正面から。裏側は観ることができない。 他の数多く展示されている最新小作品群からいくつか。 綿棒で油絵具を一つ一つ置いている。光の当たり具合で各点についている絵の具が立体のように見え影を作る。下2枚は光が上方から当たっているために点の立体的つぶつぶ感がよく分かる。ガラス越しからの撮影だけれども。 ギャラリーの説明文 「「flapping painting」と題して、「絵画を見る」という行為が刺激される様な大型インスタレーション作品を展開します。壁に展示された平面のパネルが絵画だとしたら、そのイメージを覆すことで、無意識に認識の外におかれた絵画そのものの在り方を感じる事ができるのではないか。会場には大型の作品パネルが所狭しと設置され「flapping painting」を存分に体感できる空間が広がります。」 自分は内海作品を3点所蔵している。それらの作品画像はエントリー「 内海聖史作品を岡本太郎美術館で観る 」で掲載している。展示があり都合がつけば行くことにしているのだった。 ヒカリエを出て移動する。 大西順子、 Piano Quintet Suite を聴きながら移動して観ていた。 コーヒーが飲みたくなったのでカフェに入る。飲みながら撮影した作品画像を補正する。そのあとはぼーっとしながら飲む。 成城石井でマカダミアナッツを購入する。 バーに立ち寄る。 ウィスキーをストレートで5杯飲む。うち4杯。 早めに帰宅する。 オーガニッ...