古書店で白村玲子個展を観て別の古書店で詩集を探す
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某日。
用事があり外出する。
Brad Mehldau & Pat Metheny, Metheny Mehldau を聴きながら。
作品画面に目を近づけて観ると、線の引かれている箇所や他の箇所に他の箇所と極薄い段差のようなものがある。掘っているのだろうか。削っているのだろうか。別の紙を貼り付けているようには見えなかったけれども貼り付けているのだろうか。
展示を観た後、両店内で古書を見る。何冊か買おうか迷った書籍があったけれども購入せずに出る。
せっかくなのでもう一件古書店に立ち寄ることにする。詩集を多く置いている古書店に行き、パートナーに、持っていたはずだけど家に見当たらないのでもしその古書店にあれば購入を、と頼まれていた茨木のり子の詩集を探す。見当たらない。店主さんに尋ねると「売れてしまいました。最近なぜか人気で入荷するとすぐに売れてしまうんですよ。」とのことだった。
詩を嗜まない自分は、茨木のり子さんの詩句として「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」しか知らない。
科学を持ち出して詩を字義通りに受け取るのは野暮なのだろうけれども、「自分の感受性」「自分で守る」ということがよくわからないのだった。
具体的には、脳科学などの知見を考慮すると、自分を内観しても、どこまでが「自分」の感受性なのか、外部から勝手にインストールされた感受性の形式を「自分」のものだと半ば必然的に錯覚したものが「自分の感受性」なのか、それなら「自分」とは何か、などなど、そしてどこまでこのような「自分の感受性」を「自分で守れ」るのか (自由意志があるのか)、わからないのだった。
たとえばMatthew D. Lieberman, Social: Why Our Brains Are Wired to Connect (Crown, 2013) やDavid M. Eagleman, Incognito: The Secret Lives of the Brain (Canongate Books, 2011) など。前者についてはエントリー「「日記人格」と報酬系 (ブログ人格、SNS人格)」で、後者については「再読 David Eagleman, Incognito あなたの知らない脳」で言及している。
科学的証拠から考えて、自由意志の成立する余地はほとんどないこと、そうした証拠は増えるばかりであること、は例えば Robert Sapolskyによる800ページの書籍 Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst (Penguin, 2017) にまとめて記してある。
柳智之さんの作品のようだ。
6:30 起床。NY市場終値をチェック。
グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。
シャワー。
大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆 20g、260ml。飲みながらメール。作業、読書。
スロージョギング。
9:00-9:30 第一食。自炊。マグネシウム (にがり顆粒 2g)、ビタミンB (Dear-Natura Mix)、ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g)、ビタミンD3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu)、亜鉛 (Dear-Natura, 14mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリンサプリ、タウリンサプリ (1000mg)、ナイアシンアミド (500mg)、イヌリン粉末 6g、グリシン粉末 3gを摂取。
ストレッチ。ホットココア (オーガニック、非アルカリ化処理)。
読書、音楽、休憩。
外出。帰宅。
16:00-16:30 第二食。自炊。ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g程度) を摂取。
休憩。作業。youtube。
マグネシウム (にがり顆粒 2g) を摂取。
Coconut oil pulling、軽くストレッチと腹式呼吸、就寝。
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