特定の絵画作品に惹かれる理由についての学術論文を読む
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某日。
何度か記したように、自分は特に絵画を中心にいくつか美術作品を所蔵している。
購入した絵画作品、特に矢野静明作品は、単に視覚的な快をもたらすということで購入したのではない。「美しい」というのが理由でもない。大体観た瞬間に、自分のこれまでの生で形成されてきた感覚と記憶の総体が揺すぶられるような質の感覚があり、それが購入する大きな理由になっている。この感覚が「快」なのかはよくわからない。「不快」ではない。ただ「快」よりももっと大きく複雑な感覚である。言語化できないけれども。
なぜ特定の絵画作品に惹かれるのかについての次のような学術論文が出版されていた。
Edward A. Vessel and et al., "Self-Relevance Predicts the Aesthetic Appeal of Real and Synthetic Artworks Generated via Neural Style Transfer," Psychological Science, Volume 34, Issue 9 (August 2023, Sage Publication).
Donald Fagen, Sunken Condos を聴きながら読む。
「芸術作品の美的魅力は何によって決まるのだろうか。最近の研究では、美的魅力は視覚作品のイメージの特徴からある程度予測できることが示唆されている。しかし、美的評価のばらつきの大部分は未解明のままであり、個人の嗜好に関係している可能性がある。我々は、作品の美的魅力は自己関連性に強く依存するという仮説を立てた。最初の研究(N = 33成人、オンライン再現N = 208)では、実際の作品に対する美的魅力の評価は、評価された自己関連性によって正に予測された。第二の実験(N = 45オンライン)では、既存のアート作品のスタイルを写真に転送するディープ・ニューラル・ネットワークを用いて、合成された自己関連性の高いアート作品を作成した。スタイル転送は、自伝的記憶などの参加者固有の属性を反映するように選択された自己関連写真に適用された。自己関連性のある合成アート作品は、マッチさせた対照画像よりも美的に魅力的であると評価され、そのレベルは人間が作ったアート作品と同様であった。このように、自己関連性は、芸術的技能や画像の特徴とは無関係に、美的魅力の重要な決定要因である。」(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳)。
ある個人がどのような芸術作品に美的魅力を見出し (aesthetic appeal, aethetically pleasing) 心動かされるのか (moving, moved)。その決定には、その作品がその個人にとってどの程度自己関連性 (self-relevance) があるか、その作品が、個人の自分が誰であるかという感覚 (sense of self) や世界観 (world-view) とどの程度共鳴するか、が重要な要因となっているとのこと。ただこれが唯一の要因というわけではない。合成された絵画作品よりも本物の絵画作品の方が美的魅力を感じやすく心が動かされやすい。自己関連性とは別の、未解明の要因がある。
sense of self や world-view が自分のこれまでの生の総体を基盤として形成されているのだと考えてみる。そうすると、最初に述べた、自分が絵画作品の購入を決定する際の大きな理由とそれほど異なったことが述べられているのではないかもしれない。aesthetic を、狭く「美」としてではなく広く感性総体 (諸記憶により生成変容する) の在り方に関わるものとして捉えるとすれば。
なぜそのようなsense of self や world-viewが形成されたのかはわからない。それがどのようなsense of self や world-viewなのかもはっきりとはわからない。そもそも、こうしたsense of self やworld-viewは、「自分の」それだという感覚よりも、そこからのみ・そこでのみ世界を見て感じることのできる、差し当たり身体と呼ばれるこの物体においてたまたま生じ刻まれているのだ、という感覚のほうが強い。だから、ある特定の作品になぜ惹かれたのかわからないし、その作品を選んでいるとのが「自分だ」という感覚もない。便宜上「自分」と言いそのように記すけれども。その上で、購入した絵画作品の傾向性、購入絵画作品群の総体、絵画作品の設置の仕方、の中に、自分のsense of self や world-view が何らかの形で表現されているということはありそうなことだ。
惹かれない、あるいは自分の感覚と記憶の総体を喚起しない作品も確かにある。数で言えばそちらの方が多い。作品の質の問題ではないのだろう。自分のsense of self や world view、それらに基づくリテラシー、に関連性がないのだと思う。
例えばキャラ・アニメ・ゲーム・癒し・ネット画像やスマホ画像のサンプリングやコラージュ・ある種の心象風景表現・ストリートアート・自分には必然性がわからず絵を描くための口実として利用されているように感じられる過去の有名作品の引用・自分には必然性がわからない理由でさまざまにデフォルメされた顔・読んでもなぜその絵なのかわからないステートメント・社会批判の視点、といった要素が強い絵画作品に感応するリテラシーが自分にはまだ備わっていない。
過去の有名作品の引用かつデフォルメされた顔の作品でも、そのような作品として成り立つことにある種の必然性というか切迫した理由が、自分には感じられるような作品は所蔵することがある。エントリー「西荻窪のギャラリーフェイストゥフェイスで展示を見る」で Rafael Rodríguez ラファエル・ロドリゲスさんの作品について言及する中で、このことを記している。
ギャラリー巡りをして、自分が感応するためのリテラシーを持たない多くの作品に接するようにはしている。そのようなリテラシーがなくても、備忘録としての意味合いがあって書いているギャラリー巡りの文章と作品画像を掲載しているブログ記事もある。多くの作品に接しても自分が感応しなければ、そして記さなければ、忘れてしまう。忘れたことも忘れてしまう。
自分が所蔵する作品に惹かれない人たちもたくさんいるのだろう。
似たような話題についてはエントリー「書籍を読了して、家に設置してある美術作品について考える」でも記している。具体的には、予測機械としての脳という観点から自分が所蔵する作品を毎日観る時に生じているであろうことについて。
6:30 起床。
グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。
シャワー。
大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆 20g、260ml。飲みながらメール、作業、読書。
スロージョギング。
9:00-9:30 第一食。自炊。マグネシウム (にがり顆粒 2g)、ビタミンB (Dear-Natura Mix)、ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g)、ビタミンD3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu)、亜鉛 (Dear-Natura, 14mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリンサプリ、イヌリン粉末 6g、グリシン粉末 3gを摂取。
ストレッチ。ホットココア (オーガニック、非アルカリ処理)。
As usual, with music on in the background, looked slowly and carefully at paintings, textiles, pottery, cloisonné, and a metal-casting sculpture in home, renewing, giving rhythm and harmony to, my sensations.
休憩。
15:30-16:00 第二食。自炊。ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g程度) を摂取。
音楽、読書、youtube.
マグネシウム (にがり顆粒 2g) を摂取。
Coconut oil pulling、軽くストレッチと腹式呼吸、就寝。
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