YUKI-SISで購入した宮脇周作作品を受け取り頂戴した柘榴と洋梨を食す
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某日。
エントリー「YUKI-SISを含めて茅場町の建物にあるギャラリーを3つ観る」で記したように、YUKI-SIS訪問の目的は購入した作品を受け取ることだった。
その作品とはエントリー「YUKI-SISで宮脇周作展を観て作品を購入する」で言及した、宮脇周作作品。
購入した作品
242 x 333 (mm) (F4)
油彩、キャンバス
作家とお会いする機会はなかったけれども、自分宛に作家が直筆で文面を記したハガキを頂戴する。自分が購入した作品は今回の展示作品中「特に手応えのある作品です」と記されている。また、描かれているのは小ぶりのジャズリンゴ (品種 サイフレッシュ) とのことだった。
上のエントリーでも記したように、自分も、展示作品はどれも良かったけれども購入した作品が突出して素晴らしく感じて購入したのだった。ギャラリストさんの話によると、この作品が際立って良いと感じた鑑賞者が少なからずおられたようだ。
作品について購入時に不思議に思ったことがあった。
まず、上の作品画像では左上に作家のイニシャル署名SMがある。しかしその署名は横長の画面用の署名ではない。画面を左に90度回転させて縦長のキャンバスにした場合に左下に、通常の署名のように左から右にSMと記されている。
次に、上の完成画面の、左から2個目のりんごの中ほどから上にかけて異なる赤系の色を分ける境界線のようなものがある。これは何だろうか。
また、画像からもわかるように、りんごの周りには、赤い色の下に、りんごの影とは思われない黒い靄のよう筆の跡がある。
さらに、赤系統のりんごの背景もまた赤系統というのは、一般的にも、これまでりんごの静物画を描いてきたこの作家の過去作に照らし合わせても、異例だと思う。
最後に、前の点と関連して、このりんご群がどこに置かれているのかがわからない。過去作ではりんごが、あるいは他の果物や花の静物画でも果物や花が、どこに置かれているかわかるような画面になっているのと対照的だ。
ギャラリストさんが作家から聞いたことを教えて下さる。
このキャンバス作品を現行のりんご静物画として完成・成功作品と判断し出展する前、作家はもともとこのキャンバスに縦方向にひまわりを描いていたこと。そういうわけでサインが縦画面上左下、という形で記されていること。サインを入れるところまでは行ったのだが、数日後に作品として残すべきではないと判断して、ひまわり作品としては潰し、その上にりんごを描いたこと。X線をかければひまわりが出てくるであろうこと。作家にとって作品として成功したと判断するのは5枚描いて1枚ほどであること。購入した絵画作品に限らず、成功と判断されなかった作品の上から異なる絵画を描くことがよくあること。など。
ということで不思議に思ったことに納得がいったのだった。サインを塗りつぶしていないということは、ひまわりを描いている時の背景は今の赤系の色だったのだろう。上の不思議に思った2点目の、現行画面では縦方向の境界線は、ひまわり画面では横の境界線、おそらくはひまわりが置かれているテーブルか何かだったのだろう。3点目の黒い靄のようなものは描かれたひまわりの部分、4点目の赤いりんごに対する背景が赤系統であるのは、もともとの絵画の背景がそのまま使われているということなのだろう。5点目は、そもそもひまわりは縦画面に描かれていたのだから、何かが置かれるとしたら縦方向に置かれるという構図と背景だったのだろう。そのキャンバス上に、背景に根本的な変更は加えずに横画面でりんごを描くのだから、りんごがどこに置かれているかがわからなくなりがちになるだろう。
そうしたキャンバスにこのような形でりんごを描こうと思い、結果として時間の重さと「すでにないものが在る」感を伴った画面を描くのはすごいと思う。作家が「特に手応えのある作品です」と仰るのもわかる気がする。
「すでにないものが在る」感というのは、上のエントリー記事でも引用したように、作家が「花や果物が確かに目の前にあった、(いまはもうない) 感が絵に出てくれたらと思って描いています。」と言っているからだ。
そして自分は
《「確かにあった」と「いまはもうない」の、過去と現在の、生と死の間。間で消え去ったものは何だろうか。その消え去ったなにかと画家の間に絵画がある。その消え去ったなにかが、絵画とそれを観る自分の間にも絵画を通じてある種の照応関係を持って表現されている。そのように感じられてくる。そのような絵画を目指して描いているということだろうか。「いまはもうない」何かを描いているけれども画面は、画面から感じる印象は、静かだが非常に重い。いまはもう「ない」ものが、そのような静かな重みを持って確かに「在る」。特に購入した絵はそのように感じる作品だった。静かに祈るような心持ちで毎日観ることになりそう》
と記している。そのように観る。
ギャラリストさんと作品の話だけをしたわけではなくて、むしろ、ここ最近そうであるように、健康・身体・栄養の話及び投資の話の方が主だった。しかも長い時間。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。
ギャラリストさんから柘榴と洋梨を頂戴する。ありがとうございます。
宮脇さんは、納得のいく構図になるまで果物の位置や向き・光の具合を幾度となく試行錯誤し、そうして配置された実物を3週間見ながら、それらが朽ち始めたとしても作品が完成するまで描き続ける。そうして描いた絵画であってもしかし、作家が作品を成功した作品、従って残すに値する作品、と見なすのは5枚のうち1枚くらいだ。
撮影していてそのことに感じ入る。自分は柘榴と洋梨を倒れないよう・転がらないように置いて撮影しただけで、その後すぐ食べてしまった。
購入作品は画面を直に観たいので額装はしない。静物画を購入するのは初めてで、所蔵する他の作品と調和する形で壁に設置することができない。高さ30センチほどの横長の棚の上に墨黒のマットを敷きその上に作品を水平に置くことにする。水平に置いた作品の上にはそのままだと埃が積もるので、薄いアクリルボックスを被せる。画面を直に観たい時にはそのアクリルボックスを外すだけで良い。そのように設置する。自宅に持ち帰り設置した時の画像。
Leon Fleisher, Two Hands の disk 1 を聴きながら。
カルヴァドスソーダ1杯とシングルモルトウィスキー3杯を飲んで帰宅する。
マグネシウム (にがり顆粒 2g) を摂取。
Coconut oil pulling、軽くストレッチと腹式呼吸、就寝。
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