鮫島ゆい個展を観て脳についての書籍を思い青山熊野神社にお詣りをして3人展を観る

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某日。

出かけようと思っていた時間の少し前にメールを受け取り、書類で確認すべきことがあるのを知る。書類を見て該当部分と思われる箇所の画像を撮影し添付して返信する。

上記作業を終えて11:30頃に外出する。交通機関を乗り継いで外苑前駅で下車する。スタジアム通りを歩いてすぐ西側に向かう小道に入る。青山熊野神社のところを右折し少し行って左折してMAHO KUBOTA GALLERYに到着する。

開催中の鮫島ゆい個展「反復と変容の総和」を観る。



上掲2枚は3作品でワンセット。1枚目の画像には2つの作品が含まれており、2枚目の作品は1枚目作品群の左側に位置している。上記リンクギャラリーのサイトで3作品ワンセットの画像が綺麗に撮影されて掲載されているので、ここでは別々に。

他の作品群。






上掲リンク先ギャラリーサイトには展示概要説明と作家のステートメントが掲載されている。長いので引用しないけれども、知覚の性質・生成が主な論点となっている。このエントリーの一つ前のエントリー「関根直子作品、川田龍個展、河原朝生個展などを観て帰宅して早めに寝る」で言及した展示でも、作家ではなくギャラリーが似たようなことをテーマとして設定していた。

このようなテーマに関して自分はまず科学的な書籍から理解を得ることにしている。具体的には脳は予測機械 prediction machineとして機能する器官だという理解だ。書籍で言うと、知覚、感覚、運動、記憶など全てを予測機械としての脳というアイディアに基づいて、テクニカルな話を含めて包括的に詳しく論じている書籍として Karl J. Friston, et al., Active Inference: The Free Energy Principle in Mind, Brain, and Behavior (The MIT Press, 2022)


がある。とても良い。

最近のもう少し読みやすい良書としてはAndy Clark,  The Experience Machine: How Our Minds Predict and Shape Reality (Pantheon, 2023)


がある。サブタイトルにOur Mindsとあるけれども読めば脳の話であることがわかる。我々の脳が予測をして我々にとっての現実を作り上げている。

脳は予測機械であるというアイディアを自分が最初に知ったのは、Jakob Hohwy, The Predictive Mind (Oxford University Press, 2014)


によってだった。ここでもタイトルにはMindという単語が使われているけれども脳の話。出版直後に読んで非常に刺激的な読書だったと記憶している。

進化論的な観点からの書籍としては Donald D. Hoffman, The Case Against Reality: How Evolution Hid the Truth from Our Eyes (Penguin, 2019)


を読了している。内容はタイトルに現れている。我々が思う"現実"は真実ではなく真実は我々の目から隠される。変異と淘汰による進化の過程で人間はそのようにして生き延びてきた。
知覚が生じるのに要する時間も含めて、我々は世界をありのままに見ていない。見たことがない。時間の観点から言うと、厳密な意味では知覚的に現在に生きたことはない。常に少しだけ遅れて過去に生きている。

同著者は1998年にVisual Intelligence: How We Create What We See (Norton, 1998)


という書籍を出版している。副題が示す通り「我々は見るものを作り出す」。我々が見るあらゆるもの
は特定の「文法」に従って脳が作り出している。視覚には、生存のため環境へ適応最適化された文法=知性 intelligenceが備わっている。

神経科学、視覚、芸術に関してはMargaret S. Livingstone, Vision and Art (revised and expanded edition) (Harry N. Abrams, 2014)


など。
見ることの生物学・脳科学を絵画作品を分析しながら科学的証拠を提供し論じている。

上述のような知覚の科学的理解を芸術的な含意のある方向への実験に結びつけているものとしては小鷹研理さんによる実験や書籍などがある。

今回の個展の話に結びつけると、現時点で得られる証拠に基づいた最も蓋然性の高い科学的仮説は、絵画であるかどうかに関わらず視覚そのものが根源的な意味で生存のためのイリュージョン装置であるというものだろう。あるいはエントリー「関根直子作品、川田龍個展、河原朝生個展などを観て帰宅して早めに寝る」で言及した展示でギャラリーが掲げる問い「私たちが認識する「現実」とは、本当に確固たるものなのだろうか。」への現時点の答えは端的に「根源的な意味で否」だろう。「見えているものは真実なのか、それとも心の奥で作り上げられた幻想なのか――」への答えは端的に「心の奥ではないけれども脳によって作り上げられた幻想=イリュージョンである」だろう。絵画によって問うまでもなく。

今回の展示は上の書籍群で記述されているような性質を持つ知覚の問題に、絵画というメディアで光を当てているということだろう。そのようにギャラリーが問題設定をしているということだろう。日常の視覚・デジタル画像・科学的に計算された刺激によってではなく、絵画という形式でしか問うことのできない問題があるということなのだろうか。だとしたらそれは何なのか。なぜ絵画という形式でしか問うことができないのだろうか。あるいは絵画という形式で問うことが知覚の問題を際立たせる1番の方法であるということだろうか。だとしたらそればなぜだろうか。自分にはわからないので、なぜ絵画でなければならないのかにまつわるすぐに浮かぶこうした疑問に対してギャラリーによる説明があればさらに良かったのだが。上掲書籍の知見が直近のものだったとしたら、そうした知見を踏まえて問題設定をした方が良いのではというのは不当な要求だろう。しかし出版された年が古いもので1998年や2014年であることを考えれば、上記の知見を踏まえた上で問題設定を説明する、ということがあっても良いと思うのだが。

知覚と幻想という問題設定を超えて自由意志の存在という幻想も考慮した方が良い、脳の問題設定を超えて三次元空間と時間そのものが根源的なものではなく派生的なもの=幻想であるという仮説も考慮した方が良い、そのように言うのは不当だろう。各分野によって厳密さの適切な水準がある。

前者に関しては、現時点で得られる証拠に基づけば、自由意志の存在・不在どちらの可能性が高いかといえば圧倒的に後者だろう。自由意志の存在そのものが幻想である可能性が極めて高い。自由意志が存在するという幻想自体は脳が生み出す「最も説得力のある従わざるを得ない幻想 the most compelling illusion」(Daniel Wegner, The Illusion of Conscious Will, The MIT Press, 2002; new edition 2017) であるとしても。とすると暗黙にであっても自由意志を前提として人間の行為を理解するのであれば、制作行為であれ鑑賞行為であれ問いであれステートメントに寄与した作家の思考であれ、全て幻想に基づいた理解ということになる。実際そうなのだろうと自分は思う。真摯に問うのであれば、知覚された世界の現実性や幻想性については思考し問うのに、その思考し問うという行為 (が有意味であるため) に前提とされている自由意志の存在は現実なのか、幻想ではないのか、と問わないのはなぜなのか、知りたいところではある。自由意志を疑問視すると作家・制作・作品・絵画・展示という概念も疑わしくなる「から」問わない、というのは一つの立場ではある。確かにこうした概念は疑わしくなり作家としての存在そのものが脅かされるからだ。作家としての存在を保持したいというのは一つの立場ではある。では知覚に対して問うのはそうすることが作家・制作・作品・絵画・展示という概念を脅かすことがない「から」だろうか。絵画制作のための口実としての問い、あるいはギャラリーが展示するために口実として提示する問い、ということだろうか。自由意志の不在と関連科学書籍についてはエントリー再読 David Eagleman, Incognito あなたの知らない脳」「書籍を読み、豚汁を作り、書籍を買う1日」「自由意志についての書籍・絵画についての書籍・草木染め糸・ウィスキー」「自由意志についての書籍・アニミズムについての書籍・料理」などで記している。

後者に関して、根源的には三次元空間と時間そのものが派生的なものである、あるいは三次元空間と時間というのは、世界を巨視的な視点かつ低い解像度でしかしそれなりの有効性を持つ仕方で記述したものにすぎない、という仮説はホログラフィック理論や邦訳が数冊あるカルロ・ロヴェッリの書籍で論じられている。あるいは大栗博司さんの著作「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」 (幻冬舎新書, 2012) や「大栗先生の超弦理論入門」 (講談社ブルーバックス, 2013) など。三次元空間プラス時間そのものが根本的な意味で幻想なのであればその中で生じる全てのことは幻想の中にある。もちろん絵画も含めて。この論点に関してはしかし、そんなことをここで言ってもしょうがない、絵画の個展には関連性がない irrelevantとは思う。

ギャラリーを出て来た道を戻る。青山熊野神社にお詣りをする。


いつものように、日々安寧に暮らすことができていることへの感謝を心の中で唱える。

神社を出る。坂本龍一 「1996


を聴きながら移動する。

神社を出て外苑前駅方向すぐそばにある Up & Comingに立ち寄る。

開催中の⽯河彩⼦・⻑⾕部まり杏・WAKO三人展「切れはしの交換」を観る。

「本展示では作家3名が些細で言葉にもなりきらない、いわば言葉の切れはしのようなものを互いに交換するところからスタートしました。言葉の切れはしとは真っ白な地図の上に「何を描くのか」という方向を目指すためのコンパスのようなものです。互いに受け取った言葉の切れはしを、それぞれがどのように扱い作品に生かしているかは、展示が始まるまでお互いにわかりません。」

敬称略。

⽯河彩⼦




⻑⾕部まり杏




WAKO




ギャラリーを出て外苑前駅方面に歩く。

6:00起床。NY市場終値をチェック。

 

グラス一杯の水を飲んで柱サボテンとボトルツリーをヴェランダに出す。

 

シャワー。

 

大きめのカップに珈琲を淹れる。オーガニック豆 20g260ml。飲みながら読書。


腕立て伏せ15x 10セット。

 

9:00-9:30 第一食。自炊。マグネシウム (にがり顆粒 2g)、ビタミンB (Dear-Natura Mix)、ビタミンC (L-アスコルビン酸 1.5g)、ビタミンD3 (Health Thru Nutrition 10,000Iu)、亜鉛 (Dear-Natura, 14mg)、ルテイン、ゼアキサンチン、コリンサプリ、タウリンサプリ (1000mg)、ナイアシンアミド (500mg)イヌリン粉末 6g、グリシン粉末 3gを摂取。


ストレッチ。ホットココア (オーガニック、非アルカリ処理)


雑用、音楽、メール返信。


外出。

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